時雨の百人一首

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後宮

後宮は、天皇の后妃や女官たちが生活し、天皇の日常生活を支えた宮中の区域です。后妃の住まいである御殿や、女官たちが勤務する役所(後宮十二司)などが置かれていました。

后妃

呼称 定義
女御にょうご 天皇の后妃の一つで、后(中宮・皇后)に準ずる高位の妃。
有力貴族の娘が立てられることが多く、のちに皇后・中宮となる女性もいました。 居所の御殿名を添えて呼ばれることが多い(例:『源氏物語』に登場する弘徽殿こきでんの女御にょうご)。
更衣こうい 女御に次ぐ身分の后妃。
女御よりも家格の低い家の出身者が多いが、天皇の寵愛によって大きな影響力を持つ場合もあった。
御息所みやすどころ もとは天皇が休憩する場所を意味していたが、天皇の御寝所に仕える女性を指すようになった。
御匣殿みくしげどの 本来は衣服や裁縫を担当する女官であったが、10世紀半ば頃から、天皇の身近に仕える女性として、天皇の寵愛を受ける場合もありました。

「女御」という言葉は、815年『日本後紀』において、地位や身分に応じた服装の規定を記した公式文書に初めて登場しました。一方「更衣」という言葉は、842年『続日本後紀』において無位から従五位に叙された者が嵯峨太上天皇の更衣と記録されているところで初めて登場しています。その後、平安中期になると、「更衣」と称される女性は次第に少なくなり、円融朝前後からその地位が衰退していったとする見解があります。『源氏物語』では「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に…」という書き出しですが、これは紫式部の生きた時代の後宮をそのまま描いたものではなく、過去の時代を舞台として設定した物語と考えられています。

後宮の女房

后妃たちの生活を直接支えたのが、女房や女官と呼ばれる女性たちです。女房には、朝廷の官司に属する女官だけでなく、后妃の家政組織に仕える女性も含まれていました。彼女たちは、主人の身の回りの世話だけでなく、文書の作成や取次、儀礼、衣服、食事など、さまざまな仕事を担いました。

呼称 定義
女房にょうぼう 宮中や貴族の邸宅で、天皇・后など高貴な人物に近侍し、実務・文書・生活の補助などを担った女性。また、天皇の女房と后の女房がそれぞれ別の組織を形成したように、特定の主人に仕える女性たちの集団を指すこともある。
上かみの女房にょうぼう 天皇に直接仕える女房。后妃に仕える「宮の女房」に対して、天皇側に仕える女房を指す。
宮みやの女房にょうぼう 主に后に直接仕える女性。天皇に直接仕える「上の女房」に対して后側に仕える女房を指す。
女房三役にょうぼうさんやく 平安中期では、后の女房組織において宣旨せんじ、御匣殿みくしげどの別当べっとう、内侍ないしが上位の役割を担い、女房組織が整えられていきました。
宣旨せんじ 女房の中でも特に上位に位置し、天皇や后妃の意向を他の人に伝えたり、取り次いだりしながら、女房たちをまとめる役割を担った上級女房。
御匣殿みくしげどの別当べっとう 「御匣殿」は、後宮で衣服や裁縫を担当する女官たちが働いていた場所。この場所を取り仕切る女性は「御匣殿別当」と呼ばれたり、略して「御匣殿」と呼ばれたりした。
女童めのわらわ 中下級貴族の15歳以下の女子で、さまざまな雑用に従事した。

「房」は居室のこと。宮中や貴族の邸宅では、屏風や几帳で仕切った居所を与えられ、主人のそばに住み込んで仕える女性を「女房」と呼びました。

後宮の場所

こうした女性たちが生活した後宮は、内裏の北側に広がっていました。そこには天皇や后妃が暮らす御殿群「七殿五舎」が置かれ、それぞれの建物が采女や女官の出入りする場となっていました。源氏物語に登場する「弘徽殿こきでん」や「麗景殿れいけいでん」、「桐壺きりつぼ」、「藤壺ふじつぼ」も、この七殿五舎に含まれます。

後宮

上図はクリックすると拡大表示されます。

後宮は内裏の北側に位置し、図では色が塗られている部分にあたります。
ここには后妃たちの居所となる御殿が集まり、これらはまとめて「七殿五舎」と呼ばれる建物群として知られています。
「七殿」とは
登華殿とうかでん・弘徽殿こきでん・貞観殿じょうがんでん・常寧殿じょうねいでん・
承香殿じょうきょうでん・
麗景殿れいけいでん・宣耀殿せんようでんの七つの殿舎を指します。
「五舎」とは
襲芳舎しほうしゃ(雷鳴壺かみなりのつぼ)・凝花舎ぎょうかしゃ(梅壺うめつぼ)・
飛香舎ひぎょうしゃ(藤壺ふじつぼ)・淑景舎しげいしゃ(桐壺きりつぼ)・昭陽舎しょうようしゃ(梨壺なしつぼ)の五つの舎を指します。

後宮十二司

こうした広大な後宮の実務を動かしていたのが「後宮十二司」です。后妃の食事・医薬・衣服から門の鍵管理・清掃にいたるまで、宮中生活のあらゆる場面を専門の役所が分担していました。

ところが、平安中期になると蔵人所の台頭などにより他の十一司の実務は次第に衰退し、やがて形骸化していきました。その結果、内侍司が後宮における女官組織の実質的な中心となりました。

名称 役割
内侍司ないしのつかさ 天皇に近侍し、奏上・伝達や後宮の礼式を司る。
蔵司くらのつかさ 神璽しんじ(天皇の印)や関契かんけい(関所の通行証)、天皇や皇后の衣服など、重要物品の出納・保管を司る。
書司ふみのつかさ 書籍および紙・墨・筆など文具の管理を司る。
薬司くすりのつかさ 医薬の管理および天皇への服薬・毒見を司る。
兵司つわもののつかさ 後宮は天皇の生活空間であるため、兵器といっても戦闘用ではなく、祭事や儀式で用いられるものの保管を司っていたと考えられます。
闈司みかどのつかさ 宮中の御門の鍵管理を司る。
殿司とのもりのつかさ 輿繖よさん(乗物の輿とその上に差し掛ける長い柄のついた傘)、灯火、炭、入浴用品など宮中生活に関わる物品の管理を司る。
掃司かにもりのつかさ 宮中施設の維持、調度の設営、清掃を司る。
水司もいとりのつかさ 飲料水や、軽食である粥かゆなどの飲食物の供給を司る。
膳司かしわでのつかさ 天皇の食膳の調理や管理、毒見などを司る。
酒司みきのつかさ 酒の醸造、酒器の管理などを司る。
縫司ぬいのつかさ 衣服の裁縫や組紐の制作を司る。

内侍司ないしのつかさ

後宮十二司のうち、平安時代に特に重要性を増したのが内侍司です。他の十一司が次第に形骸化していく一方で内侍司は天皇への奏上や命令の伝達など、天皇の側近で行う仕事を担い続けました。

階級 官職 職務
長官 尚侍ないしのかみ 天皇の側近として秘書官的役割を担った女官。
律令制では、定員2名で従五位に準ずるが、のちに従三位に地位が上昇した。名誉職的な一面があったり、天皇から寵愛を受けたりすることもあった。
次官 典侍ないしのすけ 尚侍を補佐する。
律令制では、定員4名で従六位に準ずるが、のちに従四位へ地位が上昇した。後宮女官であるとともに、平安中期においては天皇の乳母を待遇する官職になることもあった。
判官 掌侍ないしのじょう 律令制では、定員4名で従七位に準ずるが、のちに従五位へ地位が上昇した。宮中の事務の中核となった。
下級女官 女孺にょじゅ 雑務などを担当。
律令制では、定員100名で少初位に準ずる。

女孺は内侍司だけでなく、他の司にも配置されました。ただし、もっとも多く配置されたのは内侍司でした。

内侍司以外の司

平安時代になると、蔵人所くろうどどころなど新しい役所がつくられ、男性の役人が宮中で担う仕事が増えていきました。その一方で、後宮十二司がもともと担当していた仕事の一部も、蔵人所や他の役所、内侍などが行うようになりました。

こうして、律令で定められた後宮十二司の仕組みは、平安時代になると少しずつ変化していきました。10世紀頃には、十二司の多くがもとの仕事を続けることが難しくなり、その機能は次第に他の組織へ移っていきました。

一方で、内侍司は天皇のそばに仕えて奏上や命令の伝達を行う役割を保ちました。こうして、律令制のもとで定められた後宮十二司は、平安時代にはそのままの形ではなく、内侍司を中心とした新しい女官組織へと変化していったと考えられています。

後宮を支えた下級女官

名称 説明
氏女うじめ 畿内の有力氏族から朝廷に貢進され、宮廷に仕えた女官です。主に下級女官である女孺にょじゅなどに充てられました。
采女うねめ 地方豪族から朝廷に貢進され、宮廷に仕えた女官です。天皇の身の回りの世話や食事の給仕などにあたりました。女孺にょじゅになる者のほか、水司もいとりのつかさや膳司かしわでのつかさなどで働く者、得選とくせんとして御厨子所みずしどころなどで働く者もいました。
得選とくせん 采女の中から選ばれ、御厨子所みずしどころなどで食膳や雑事に従事した女官です。
樋洗ひすまし 宮中の便所の清掃などをした女官です。