時雨の百人一首

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難波津の歌
(咲くやこの花)とは?
王仁博士と文字学習の歴史

競技かるたの序歌として知られる「難波津の歌」。実はこの歌は、平安時代の人々が文字を学ぶ際にも親しまれていました。

このコラムでは、歌の意味や作者とされる王仁博士の伝承をはじめ、木簡や『古今和歌集』『源氏物語』に残された記録から、難波津の歌が日本の文化の中で果たしてきた役割を探ります。

原文

難波津なにわづに 咲さくやこの花はな 冬ふゆごもり
今いまは春はるべと 咲さくやこの花はな

現代語訳

難波津に花が咲いているよ。冬の間は蕾にこもっていた花が、今は春になったと咲いているよ。

作者・王仁博士について

伝承では、この歌は百済から渡来した学者・王仁の作とされています。その出典は『古今和歌集』の仮名序です。 『日本書紀』によると、王仁は応神天皇の時代に百済から来て、太子の菟道稚郎子に典籍を教えました。『古事記』では「和邇吉師」の名で登場し、『論語』十巻と『千字文』一巻を献上したと記されています。

しかし、この伝承をそのまま歴史と見ることはできません。王仁が持ってきたという『千字文』は、6世紀の前半、中国・梁の武帝(在位502〜549年)が周興嗣に命じて作らせた本です。王仁がやって来たとされる応神天皇の時代は5世紀の初めごろとされますから、王仁はまだこの世にない本を持ってきたことになってしまいます。 この食い違いには、江戸時代の学者・新井白石もすでに気づいていました。今では、王仁は実在の人物ではなく、のちに文筆で朝廷に仕えた渡来人の一族が「自分たちの祖先」として語り伝えた人物ではないか、という見方も少なくありません。

大阪府枚方市藤阪の「伝王仁墓」も、江戸時代の学者・並河誠所が王仁の墓と記したことから広まったものです。現在のところ、この地が歴史上の王仁の墓であると確定できるわけではありませんが、王仁の伝承を今に伝える興味深い史跡です。

伝王仁墓

大阪府枚方市にある伝王仁墓。奥に見える色鮮やかな門は「百済門」。材料や機材を韓国から持ち込み、本場の宮大工が建立したそうです。
JR学研都市線 長尾駅から徒歩10分です。
(2025年8月14日撮影)

千字文と論語の記念碑

王仁が持ってきたとされる『千字文』と『論語』の記念碑。それぞれの碑には両書の一節が刻まれています。日本語の他、韓国語、英語での説明があります。
(2025年8月14日撮影)

千字文記念碑

王仁が持ってきたとされる『千字文』の一節が刻まれた千字文記念碑。

左下には難波津の花の歌も万葉仮名で刻まれています。
(2025年8月14日撮影)

文字学習の基礎になった
咲くやこの花(難波津の歌)

『難波津の歌』は、文字を学ぶうえで大切な役割を果たしていました。全国の発掘調査では、7世紀から奈良時代にかけての木簡が数多く出土していますが、歌が書かれた木簡の中でも、この歌を記したものがたくさん見つかっています。紙がまだ貴重だった時代、木の札は文字の練習に使われていたと考えられています。

次の写真は、そうした木簡の一つです。

難波津の歌が書かれた木簡(藤原京跡出土)

藤原京跡(奈良県橿原市)から出土した、難波津の歌が書かれた木簡です。藤原京が都だった694〜710年頃のもので、長さ約39cmのヒノキの板に墨で書かれています。

表には万葉仮名で「奈な尓に皮はツつ尓に佐さ久く矢や己こ乃の皮は奈な布ふ由ゆ己ご母も利り伊い真ま皮は々は留る部べ止と」と記されています。

出典:木簡庫(奈良文化財研究所) を加工して作成

平安時代になっても、この歌は手習いの最初の一首でした。先にふれた『古今和歌集』(905年奏上)の仮名序には、『難波津の歌』と『安積山の歌』が「歌の父母のやうにてぞ手習ふ人のはじめにもしける(歌の父母のようなもので、文字を習う人が最初に学ぶ歌)」と記されています。

また『源氏物語』の「若紫」には、光源氏が幼い紫の上の世話を申し出たとき、祖母の尼君が「まだ難波津をだに、はかばかしう続けはべらざめれば、かひなくなむ(まだ『難波津の歌』さえきちんと続けて書けない子ですから、お話になりません)」と断る場面があります。この歌が、当時の文字学習の基本として定着していたことがうかがえます。

時代を超えて響く、希望の旋律

現在、競技かるたの序歌として知られる『難波津の歌』ですが、そのエッセンスは文字や和歌の学びの始まりを象徴しているというだけでなく、時代を超えて人々の心に寄り添い続けている点にあるのかもしれません。古墳時代という遠い昔に作られたにもかかわらず、その普遍的な情景と希望に満ちたメッセージは、現代を生きる私たちにもすんなりと心に響きます。

「冬ごもり」していた花が、春になって咲き始めるという様子は、誰にとっても身近で、希望を感じさせる情景です。厳しい冬を耐え抜いた後に訪れる春は、まさに新しい始まりであり、希望そのもの。人々に寄り添い、生きる喜びを感じさせてくれるからこそ、これほどまでに長く歌い継がれてきたのかもしれません。