百人一首解説

【百人一首 70番】さびしさに…歌の現代語訳と解説!良暹法師はどんな人物なのか

さびしさに宿を立ちいでてながむれば

いづこもおなじ秋のゆふぐれ

【読み】

さびしさにやどをたちいでてながむれば

いづこもおなじあきのゆふぐれ

【70番】さびしさに~ 現代語訳と解説!

【現代語訳】

淋しさのあまり庵を立ちいでて見渡すと、どこもかしこも一色の秋の夕暮れであるよ。

【解説】

この歌にはこった技巧も無く、心にスッと素直に入ってくる歌です。

秋の夕暮れの寂しさに、どうにもいたたまれない気持ちになり、おもむろに駆け出してみると、どこもかしこも、秋の夕暮れの景色だったという状況を謳っています。

第二句の「立ち出でて」と字余りになっている所が、作者が思い余って駆け出した感じが出ていて、うたそのものに勢いをつけている印象を与えてくれます。

良暹法師とは、どんな人物??

11世紀前半の人で、後冷泉天皇時代の歌人です。

山城国愛宕郡の生まれで、母親は藤原実方家の童女白菊だったという説があります。

比叡山の僧侶で祇園の別当であり、晩年は洛北大原の雲林院に隠棲したと言われています。

まとめ!

上の句 さびしさに宿を立ちいでてながむれば
下の句 いづこもおなじ秋のゆふぐれ
歌人 良暹法師
決まり字
決まり字数 1
収載和歌集 後拾遺和歌集

秋に寂しくなるのは、今も昔も一緒なんだね。

なんで秋の夕暮れは寂しくなっちゃうんだろう?

さみしさにいたたまれなくなって走り出して、気が付いたらどこもかしこも秋一色だったって素敵すぎる。

周り全てが秋に囲まれていた。あの感覚って日本人独特なんだろうか。

日本人は四季にとっても影響を受けている民族なんだね。