時雨の百人一首

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Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox

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蝉丸せみまる

これやこの
行ゆくも帰かえるも
わかれては
しるもしらぬも
逢坂おうさかの関せき

蝉丸

しるもしら
ぬもあふさ
かのせき

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10番歌
これやこの 行ゆくも帰かえるも わかれては
しるもしらぬも 逢坂おうさかの関せき
作者:蝉丸せみまる(生没年不詳)
出典:後撰和歌集 雑
現代語訳
これがあの、旅立つ人も帰る人も、知っている人も知らない人も、別れたり、行き会ったりする逢坂の関なのだなぁ。
解説
『後撰和歌集』の詞書に「逢坂の関に庵室を作りて住み侍りけるに、行きかふ人を見て」とあります。これは、蝉丸が逢坂の関という京の都と東国を結ぶ交通の要所に小さな庵を作り、多くの人々が行き交う様子を見ていたことを表しています。この歌はリズミカルで軽やかな響きを持ちながらも「会う者は必ず別れる」という仏教の無常観に基づいて詠まれています。
どんな人?
蝉丸は醍醐天皇の第四皇子でありながら、盲目であったことを理由に逢坂山に置き去りにされたと伝えられています。その後、琵琶法師として生計を立て、琵琶の音色に合わせて歌う彼の声が蝉の鳴き声を思わせたことから、蝉丸と呼ばれたという説があります。
品詞分解と文法

左の原文の単語をタップ(クリック)すると、品詞・活用・解説がここに表示されます。

歌のイメージ
蝉丸の歌のイメージ

この画像は、William N. Porter氏が1909年にイギリスで出版した百人一首の英訳本『A Hundred Verses from Old Japan』の挿絵を元にAdobe Firefly(生成AI)で色を付けて、アレンジしたイメージです。

蝉丸の略年表
備考

蝉丸の生没年や詳しい経歴には、不明な点が多くあります。

  • 逢坂山の麓で死去したとする伝承がある
  • 『後撰和歌集』に「これやこの」の歌が載る
付録
琵琶(びわ)
琵琶

木製の楕円形の平たい胴に、4本または5本の弦を張った楽器で、撥ばちで弦をはじいて演奏します。
日本には7、8世紀頃、中国大陸から入ってきました。

逢坂の関跡周辺の東海道を行き交う人々
伊勢参宮名所図会、逢坂山
蔀関月, パブリック ドメイン, via Wikimedia Commons

「逢坂の関」は山城国と近江国の国境にあった関所です。
この書物は、『伊勢参宮名所図会』で、逢坂の関跡周辺の東海道を行き交う人々が描かれています。

地図へのリンク

逢坂山関址の記念碑

滋賀県大津市大谷町、国道1号線の峠を登り切ったあたりに「逢坂山関址の記念碑」があります。

記念碑の場所は、本来の関があったとされる場所とは違うという指摘もあります。それでも、この地は当時の面影を偲ぶよすがとなっています。現代の峠道は、車が軽快に行き交うばかりで、歩く人の姿はほとんどありません。

しかし、この記念碑の前に立って、かつて蝉丸が耳にしたであろう旅人たちの賑わいや、牛車が荷物を運ぶ音を想像してみるのも一興です。

(撮影日:2025年8月12日)

和泉式部が詠んだ逢坂山の関
和泉式部も逢坂山の関を詠んでいます。 和泉式部は恋多き女性として知られ、時の権力者・藤原道長から、自分の扇に「浮かれ女の扇」と書き付けられたことがありました。そのとき、和泉式部が詠んだのが次の歌です。「逢坂」は「逢う」を連想させることから、和歌では男女の出会いや恋愛を表す言葉としても用いられました。

原文

越こえもせむ 越こさずもあらむ 逢坂おうざかの
関守せきもりならぬ 人ひとな咎とがめそ 『和泉式部集』和泉式部

現代語訳

恋の道を越えるも越えないも人それぞれ。逢坂の関守でもない人が、とがめないでください。

『源氏物語』で舞台になった逢坂の関

『源氏物語』第16帖『関屋』では、逢坂の関が舞台になっています。かつて深い関係になったものの、別れることになった光源氏と空蝉が、12年ぶりに逢坂の関で思いがけずすれ違う場面です。


ここで最初に詠まれる歌は、空蝉が心の中で詠んだ歌です。

原文

行いくと来くと せきとめがたき 涙なみだをや
絶たえぬ清水しみずと 人ひとは見みるらむ 『源氏物語』空蝉(紫式部)

現代語訳

行くときも帰って来るときも、(逢うことはできず)せきとめられずに流れる私の涙を、あなたは絶えず湧き出る関の清水だと見てくれるのでしょうか。


光源氏は、次の歌を詠んで空蝉に送ります。

原文

わくらばに 行いき逢あふう道みちを 頼たのみしも
なほかひなしや 潮しほならぬ海うみ 『源氏物語』光源氏(紫式部)

現代語訳

偶然、近江路で行き会ったことを、再びあなたと巡り会える縁だと思いましたが、あなたと逢えないのなら、甲斐のないことです。塩のない海(琵琶湖)には貝もいないのですから。


光源氏の歌に対して空蝉は次の歌を返します。「逢坂」は「逢う」を連想させる地名であり、「関」は人の行き来を妨げるものです。そのため「逢坂の関」は、和歌では「逢うこと」と「隔て」の両方を重ね合わせて詠まれることがあります。蝉丸が「行くも帰るも別れては」と詠んだ逢坂の関は、『源氏物語』でも、人と人との隔たりや再会への思いが交錯する場所として描かれています。

原文

逢坂おうさかの 関せきやいかなる 関せきなれば
しげき嘆なげきの 仲なかをわくらむ 『源氏物語』空蝉(紫式部)

現代語訳

逢坂の関は一体どのような関だからといって、嘆きばかりの中を分け入らなくてはいけないのでしょうか。

源氏物語関屋澪標図屏風
源氏物語関屋澪標図屏風
Sōtatsu, Public domain, via Wikimedia Commons

この屏風は、江戸時代の画家・俵屋宗達が描いた『源氏物語関屋澪標図屏風』という作品の一部で、『源氏物語』の第16帖『関屋』が描かれています。京都から石山寺へお礼参りに行く光源氏の一行と常陸介を務め終えた夫と一緒に京都に戻ってくる空蝉の一行が逢坂の関で偶然すれ違う場面です。屏風の右側に描かれた牛車の中に光源氏が乗っており、左側に山側に止められている牛車の中に空蝉がいると思われます。

蝉丸神社
蝉丸神社

蝉丸神社は滋賀県大津市にある神社で、西暦946年に創建されました。逢坂山関址の記念碑のすぐ近くにあります。この神社は、琵琶の名手として知られる蝉丸と猿田彦命さるたひこのみことという二人の神様を祀っています。蝉丸は芸能や芸術の神様として、猿田彦命は街道の安全を守る神様として信仰されています。

(撮影日:2025年8月12日)

王子神社の末社・関神社
関神社 正面
関神社 斜め
関神社 境内
毛塚

東京都北区にある王子神社の末社・関神社では、髪の祖神として蝉丸が祀られています。

蝉丸が、髪の悩みを抱える姉のために「かもじ(かつら)」を考案したという逸話から、髪の神様として信仰されるようになりました。

境内には、毛髪への感謝をこめて毛塚が建立されており、玉垣には、かつらや相撲の力士の髪を結う床山など、髪の毛にまつわる多くの企業名が並んでいます。

JR京浜東北線・王子駅 北口から徒歩で約5分です。

(撮影日:2025年8月23日)

歌川国芳の『百人一首之内』
歌川国芳による蝉丸の浮世絵
British Museum, Public domain, via Wikimedia Commons

江戸時代を代表する浮世絵師、歌川国芳による一枚。
ここには、多くの旅人が足早に行き交う「逢坂の関」の活気あふれる情景が描かれています。

わらぶき屋根の粗末な小屋に目を向けると、小さな窓から顔を出す蝉丸の姿があります。出会いと別れを繰り返す人々の営みを、蝉丸は穏やかな表情で静かに見守っています。

女性たちが身につけている赤い紐のような帯も目を引きます。一説には、こうした赤い紐には魔除けの意味があったとも言われています。こうした装いは、江戸の人々の目にも古風な装束を思わせるもので、当時の雰囲気を醸し出す効果があったのかもしれません。

月岡芳年の『月百姿』
月岡芳年による浮世絵
芳年『つきの百姿 月の四の緒 蝉丸』,秋山武右衛門,明治24. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1311541 (参照 2024-07-12)

幕末から明治にかけて活躍した天才浮世絵師、月岡芳年。彼の晩年の傑作『月百姿つきひゃくし』には、月明かりの下でひとり静かに琵琶を弾く蝉丸の姿が描かれています。

ひび割れた壁や、皮がついたままの粗末な柱。世間との関わりを断ち、伸び放題になった髪や髭ひげを蓄えたその姿からは、孤独を恐れず自由に生きる「世捨て人」の凄すごみが伝わってきます。

誰に聞かせるためでもなく、ただ月の光と響き合うように奏でられる、奥深く不思議な音色。風に揺れるススキの音だけが、彼の弾く琵琶の調べにそっと重なり、静かな夜の闇の中に溶け込んでいくようです。