時雨の百人一首

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Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox

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参議等さんぎひとし

浅茅生あさじうの
小野おのの篠原しのはら
しのぶれど
あまりてなどか
人ひとの恋こいしき

参議等

あまりてな
とかひとの
こひしき

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あさじ

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39番歌
浅茅生あさじうの 小野おのの篠原しのはら しのぶれど
あまりてなどか 人ひとの恋こいしき
作者:参議等さんぎひとし(880年~951年)
出典:後撰和歌集 恋
現代語訳
浅茅生の野の篠原ではありませんが、心に忍ぼうとしても堪えきれない。どうしてこれほどまでにあの人のことが恋しいのでしょうか。
解説
この歌は片思いをした相手を想って詠まれました。忍びきれずにあふれ出る恋心を表現しています。「浅茅生の 小野の篠原」が序詞で「忍ぶ」という言葉を導いています。「浅茅生」や「篠原」に直接的な歌の意味はないという説と恋を忍ぶ苦しい気持ちを荒涼とした風景に重ねているという説があります。
どんな人?
参議等は、嵯峨天皇の曽孫でしたが、臣籍降下し、源等(みなもとのひとし)と名乗りました。三河守、丹波守、美濃権守、備前権介と地方官を歴任し、最終的に参議にまで昇進し、公卿入りしました。
品詞分解と文法
歌のイメージ
参議等の歌のイメージ

この画像は、William N. Porter氏が1909年にイギリスで出版した百人一首の英訳本『A Hundred Verses from Old Japan』の挿絵を元にAdobe Firefly(生成AI)で色を付けて、アレンジしたイメージです。

参議等の略年表
880年
中納言・源希の子として誕生
897年
六位蔵人となる
904年
従五位下・大蔵少輔となる
907年
三河守となる
以後、丹波守・山城守など地方官を歴任
930年
大宰大弐となる
947年
参議となる
948年
讃岐守を兼ねる
951年
正四位下に叙され、のちに死去
備考
  • 『後撰集』に4首入集するのみ
参議等の系図
  • 茶字天皇
  • 天皇の代数
  • 百人一首の歌番号(クリックで歌のページへ)
  • =婚姻
100%
桓武50 平城51 淳和53 橘嘉智子 嵯峨52 大原全子 阿保親王 沢子 仁明54 順子 源融14 源弘 在原行平16 在原業平17 班子女王 光孝1558 文徳55 明子 源希 宇多59 胤子 清和56 高子 参議等39 醍醐60 陽成1357

源等は嵯峨天皇の子孫です。三河守・丹波守・美濃権守・備前権介・山城守などの地方官を歴任しました。947年、68歳で参議になり公卿入りを果たしますが、そのわずか4年後に72歳で亡くなりました。

付録
本阿弥光悦の『舟橋蒔絵硯箱』
  • 舟橋蒔絵硯箱_01
  • 舟橋蒔絵硯箱_02
  • 舟橋蒔絵硯箱_03
  • 舟橋蒔絵硯箱_04
  • 舟橋蒔絵硯箱_05
  • 舟橋蒔絵硯箱_06
  • 舟橋蒔絵硯箱_07

江戸時代の芸術家・本阿弥ほんあみ光悦こうえつの硯箱。山形に盛り上がった蓋の表面には源等の和歌「東路の佐野の(舟橋)かけてのみ 思ひ渡るを知る人ぞなき」の文字が散らして配置されています。「舟」と「橋」の文字はなく、舟は蒔絵で描かれ、橋は鉛の板で表現されています。
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

『舟橋蒔絵硯箱』の和歌

原文

東路あづまぢの 佐野さのの舟橋ふなはし かけてのみ
思おもひ渡わたるを 知しる人ひとぞなき 『後撰和歌集』源等

現代語訳

東国の佐野の舟橋がかけてあるように
あなたのことを心にかけてずっと恋し続けていますが
あなたは気づいてくれません。

『諸国名橋奇覧 佐野の舟橋』
佐野の舟橋 Katsushika Hokusai, CC0, via Wikimedia Commons

「佐野の舟橋」は群馬県高崎市の烏川に架かっていた橋です。たくさん並べてつないだ舟の上に横板を渡した橋のことです。

この画像は葛飾北斎が描いた浮世絵『諸国名橋奇覧 佐野の舟橋』です。画像をクリックすると拡大表示されますので、橋の下に並ぶたくさんの舟をぜひご覧ください。

源氏物語に登場する
浅茅生が詠まれた和歌
次の歌は、『源氏物語』の「賢木さかき」巻に登場する一首です。
光源氏が恋しい妻を残して寺に籠り、出家の覚悟を試す場面に詠まれました。

原文

浅茅生あさじうの 露つゆのやどりに 君きみをおきて
四方よもの嵐あらしぞ しづ心ごころなき 『源氏物語』光源氏

現代語訳

茅が茂る露のようにはかないところにあなたを残してきて、 四方から吹きつけてくる激しい風の音を聞くと、心が落ち着きません。

土佐日記に登場する
浅茅生が詠まれた和歌

この歌は、『土佐日記』に登場し、現在の高知県南国市十市あたりで詠まれたものとされています。

この地には「池」と付く地名がありながら、実際には水のない、浅茅の生い茂る野辺が広がっていました。 紀貫之はそこで、川や海の魚料理や若菜などの贈り物を受けます。日記には、鯉ではない魚が贈られたことが記されています。「池」という名に似つかわしくない料理におやっと思っていたのかもしれません。

その折、若菜に添えられていたこの歌を読み、深く感じ入った様子が描かれています。

原文

浅茅生あさじうの 野辺のべにしあれば 水みずもなき
池いけに摘つみつる 若菜わかななりけり 『土佐日記』より

現代語訳

浅茅が生い茂る野辺の水もないのに
「池」と呼ばれる場所で摘まれた若菜です。

『百人一首姥かゑとき』
葛飾北斎による木版画
Katsushika Hokusai, CC0, via Wikimedia Commons

江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎による作品『百人一首姥かゑとき』です。百人一首の歌を乳母がわかりやすく絵で説明するという趣旨で制作されたものです。

田んぼのあぜ道を歩く貴族は肩を落としているようです。霞がかかる憂いを帯びた情景も相まって失恋に沈む気持ちが表現されているように思われます。