時雨の百人一首

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Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox

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相模さがみ

恨うらみわび
ほさぬ袖そでだに
あるものを
恋こいにくちなむん
名なこそをしけれ

相模

こひにくち
なむなこそ
をしけれ

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65番歌
恨うらみわび ほさぬ袖そでだに あるものを
恋こいにくちなむん 名なこそをしけれ
作者:相模さがみ(998年頃~1061年以降)
出典:後拾遺和歌集 恋
現代語訳
恨む気力さえなくなり、涙に濡れて乾かすひまもない着物の袖さえあるのに、ましてこの恋のせいで浮名が立って私の評判が朽ちてしまうことは口惜しいことです。
解説
この歌は「永承六年内裏歌合」で「恋」という題で詠まれ、勝った歌です。つれない男に恋をした女が失恋するとともに自身の浮名が立ってしまったことを嘆いています。
どんな人?
相模という名前は相模守をしていた大江おおえの公資きんよりと結婚したことに由来していますが、その夫とは別れてしまいました。別れた後は、一条天皇の皇女である脩子しゅうし内親王ないしんのうに仕え、奔放な恋愛人生を送りました。歌人としても高く評価され、『後拾遺和歌集』には、彼女の歌が40首も収録されました。相模は、大江山で酒呑童子を退治したと伝えられる源みなもとの頼光よりみつの養女です。
品詞分解と文法
歌のイメージ
相模の歌のイメージ

この画像は、William N. Porter氏が1909年にイギリスで出版した百人一首の英訳本『A Hundred Verses from Old Japan』の挿絵を元にAdobe Firefly(生成AI)で色を付けて、アレンジしたイメージです。

相模の略年表
998年頃
誕生
1020年頃
大江公資の妻となる
1024年
伊豆走湯権現に百首の歌を奉納
1025年頃
公資と別れる
不明
脩子内親王に仕える
1049年
祐子内親王に仕える
1051年
内裏根合に出詠
1061年以降
死去
相模の相関図
  • 茶字天皇
  • 天皇の代数
  • 百人一首の歌番号(クリックで歌のページへ)
  • =婚姻
100%
仕える仕える仕える 円融64 藤原詮子 藤原道長 源倫子 藤原定子 一条66 藤原彰子 藤原頼通 藤原教通 藤原妍子(中宮) 三条6867 脩子内親王 媄子内親王 敦康親王 具平親王の次女 後一条68 藤原威子 藤原嬉子 後朱雀69 禎子内親王 藤原嫄子 後冷泉70 後三条71 祐子内親王 禖子内親王 周防内侍67 相模65 祐子内親王家紀伊72

相模守だった大江公資おおえのきんよりの妻となったことから、女房名は「相模」と名付けられました。

しかし、その夫とは、4年ほどで別離し、「朝ぼらけ宇治の川霧絶え絶えに…」の歌を詠んだ藤原定頼と付き合うようになったと言われています。

その後、相模は一条天皇の第一皇女・脩子内親王に仕えました。

付録
夫に忘れられて詠んだ歌
この歌の詞書には、「大江公資より忘れられてよめる」と記されています。

原文

夕暮ゆうぐれは 待またれしものを 今いまはただ
行ゆくらむ方かたを 思おもひこそやれ 『後拾遺和歌集』相模

現代語訳

夕暮れはいつもあなたを待っていたのに、今はただ、あなたが誰のもとに行ってしまうのか、そればかりが気になってしまうのです。
夫を諦めつつ懐かしむ歌
相模を捨てた夫は他の女性とともに遠江国(今の静岡県西部)へ赴任しました。
この歌には、逢坂の関を越えて去っていった夫への、諦めと未練が交錯する複雑な心情が詠まれています。

原文

逢坂おうさかの 関せきに心こころは かよはねど
見みし東路あづまぢは なをぞ恋こいしき 『後拾遺和歌集』相模

現代語訳

逢坂の関を越えて行くあなたに心を通わせることはありませんが、一緒に見た東路は懐かしく思い出されます。
歌川国芳の『百人一首之内』
歌川国芳による浮世絵
British Museum, Public domain, via Wikimedia Commons

江戸時代の浮世絵師・歌川国芳による浮世絵です。
百人一首の和歌に合わせた情景が描かれています。

この絵では、女性は縁側から静かに遠くを見つめています。その物思いにふける姿は、恋に悩む相模の心情を映し出しているようです。