時雨の百人一首

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Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox

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能因法師のういんほうし

嵐あらし吹ふく
三室みむろの山やまの
紅葉もみじ葉ばは
竜田たつたの川かわの
錦にしきなりけり

能因法師

たつたのか
はのにしき
なりけり

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あらし

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69番歌
嵐あらし吹ふく 三室みむろの山やまの 紅葉もみじ葉ばは
竜田たつたの川かわの 錦にしきなりけり
作者:能因法師のういんほうし(988年~1050年または1058年)
出典:後拾遺和歌集 秋
現代語訳
嵐が吹き下ろす三室山のもみじは、龍田川の川面に散り乱れて、まるで錦織物のように美しく彩っているよ。
解説
この歌は、後冷泉天皇の宮中の歌合で「紅葉」というお題を与えられて詠まれた歌です。
どんな人?
能因法師は、文章生でしたが、26歳で出家しました。歌枕に強い関心を持ち、全国を旅しながら多くの歌を詠みました。その生き様から「数寄者」と呼ばれました。能因法師には多くの逸話があります。例えば、ある歌枕を詠み込んだ歌を披露する際には、実際には京都で詠んだにもかかわらず、旅先で詠んだと見せかけるためにわざと日焼けしてから歌を披露したとされています。また、干ばつに苦しむ農民のために雨乞いの歌を神社に奉納し、三日三晩雨を降らせたという伝説もあります。
品詞分解と文法
歌のイメージ
能因法師の歌のイメージ

この画像は、William N. Porter氏が1909年にイギリスで出版した百人一首の英訳本『A Hundred Verses from Old Japan』の挿絵を元にAdobe Firefly(生成AI)で色を付けて、アレンジしたイメージです。

能因法師の略年表
988年
橘永愷として誕生
1013年
出家し、のちに能因と名乗る
1013年頃
摂津国古曽部に住む
1025年頃
東北地方を旅する
1050年または1058年
死去
能因法師の系図
  • 百人一首の歌番号(クリックで歌のページへ)
  • 猶子
  • =婚姻
100%
猶子 清原元輔42 藤原棟世 清少納言62 橘則光 橘忠望 小馬命婦 橘則長 忠望の娘 橘元愷 能因69 橘元任

能因法師の俗名は橘永愷ながやすで、父は、近江守・橘忠望です。能因法師は、兄である肥後守・橘元愷の猶子となり、学問に励んで文章生となりましたが、1013年、26歳で出家しました。

出家の理由については諸説あり、はっきりとはわかっていません。

能因法師の姉か妹のいずれかが、清少納言の子・橘則長と結婚しています。

付録
難波の春を詠んだ歌
次の歌は、能因法師が摂津国の春を詠んだ歌です。
能因法師は摂津国古曽部(現在の大阪府高槻市)で暮らしていました。

原文

心こころあらむ 人ひとにみせばや 津つの国くにの
難波なにわあたりの 春はるの景色けしきを 『後拾遺和歌集』能因法師

現代語訳

情趣を理解する人に見せてあげたい。
この摂津国の難波あたりの春の景色を。

日焼けをしてから披露した歌
能因法師は、旅の歌を多く詠んだことで知られる歌人です。ここで、面白い逸話をご紹介します。福島県にある「白河の関」を詠んだ歌がありますが、伝説によると、能因法師は実際には京都に留まっていたものの、あたかも旅に出たように見せるために、密かに日焼けをしてからこの歌を披露したと言われています。この伝説が本当なら、彼はかなりお茶目な性格だったことがうかがえます。歌は、出発時には春の霞が立っていたのに、白河の関に着いた頃には秋風が吹いていたという情景が描かれ、長い旅の様子が感じられます。

原文

都みやこをば 霞かすみとともに たちしかど
秋風あきかぜぞ吹ふく 白河しらかわの関せき 『後拾遺和歌集』能因法師

現代語訳

京の都を春の霞とともに出発しましたが、
白河の関に着いたころには秋風が吹いていましたよ

象潟きさかたを詠んだ歌
能因法師は、現在の秋田県にかほ市象潟きさかたに3年間隠棲したとされています。当時から有名な歌枕であったこの地は、彼にとっても特別な憧れの場所だったのかもしれません。京都から象潟までは直線距離でも約700km以上。当時の交通事情を鑑みれば、それはまさに命がけの旅路でした。それでもなお、自らの足で名所を訪れ、その風景を歌に刻もうとした能因の姿勢は、彼が真の数寄者であったことを物語っています。

原文

世よの中なかは かくても経へけり 象潟きさかたの
海士あまの苫屋とまやを わが宿やどにして 『後拾遺和歌集』能因法師

現代語訳

世の中は、このような暮らし方でも過ごしていけるものなのだなあ。海人の粗末な小屋を自分の住まいにすれば。

秋田県 にかほ市 象潟きさかた
九十九島
写真:らんで, CC BY 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/4.0>, via Wikimedia Commons

秋田県にかほ市の象潟きさかたは、かつて日本海の入り江に島々が浮かぶ景勝地でした。1804年の地震によって海底が隆起し、現在は水田の中に島々が点在する独特の景観となっています。この島々は、往時の名残をとどめる「九十九島」として知られています。平安時代には能因法師が約3年間滞在したと伝えられ、そのゆかりから九十九島の一つは「能因島」と名付けられています。この風光明媚な景色は、後に西行、松尾芭蕉をはじめ、多くの文人墨客に愛されました。

雨乞いの歌
次の歌は、能因法師が伊予国にいたときに、干ばつで苦しむ農民を見て、雨水をもたらすように三島神社で雨乞いをしたときに献じた一首です。「苗代水」とは、苗代(稲の苗床)に注ぎ入れる水のことです。能因法師が雨乞いをすると、三日三晩にわたって雨が降り続き、村人たちはお礼に能因法師に餅を贈ったといわれています。

原文

天あまの川がわ 苗代水なわしろみずを 堰せきくだせ
天下あまくだります 神かみならば神かみ 『金葉和歌集』能因法師

現代語訳

天の川の堰から苗を植える田んぼに注ぐ水を流してください。雨を降らせる神であるならば。

能因法師雨乞いの楠
能因法師雨乞いの楠
Saigen Jiro, CC0, via Wikimedia Commons

「能因法師雨乞あまごいの楠くす」は、 大山祇神社(愛媛県今治市大三島町)の境内に鎮座しています。 樹高10m、幹周10mの巨木で、現在は、枯死していますが、往時を偲ぶよすがとして、訪れる人が絶えないようです。

能因法師が雨乞いをした際、歌を書き付けた幣帛へいはくをこの楠に掛けたと言われています。

幣

幣帛へいはくとは、神様に捧げるもので、紙・麻などを切って垂らした神具のことです。

歌川国芳の『百人一首之内』
歌川国芳による浮世絵
British Museum, Public domain, via Wikimedia Commons

江戸時代の浮世絵師・歌川国芳による浮世絵です。
百人一首の和歌に合わせた情景が描かれています。

この絵は、伊予国で雨乞いをして三日三晩雨を降らせた能因法師に感謝した村人が餅を持ってお礼に行く様子を描いたものだと考えられます。