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Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox
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藤原基俊
契りおきし
させもが露を
いのちにて
あはれ今年の
秋もいぬめり
あはれこと
しのあきも
いぬめり
ちぎりお
- 75番歌
- 契りおきし させもが露を いのちにて
あはれ今年の 秋もいぬめり
作者:藤原基俊(1060年~1142年)
出典:千載和歌集 雑
- 現代語訳
- 約束してくださった「さしも草の」の歌の露のようなありがたい言葉を命のように大切にしていたのに。ああ…今年の秋もむなしく過ぎていくようだ。
- 解説
- 『千載和歌集』の詞書によると、基俊は、興福寺で僧をしている息子・光覚が維摩会の講師になれるように藤原忠通に依頼しました。忠通は「標茅が原の」と歌の一節を引用し、承諾したかのような返事をしましたが、実際には光覚は講師に選ばれませんでした。基俊はそのことを残念に思い、この歌を詠みました。
- 品詞分解と文法
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- 歌のイメージ
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この画像は、William N. Porter氏が1909年にイギリスで出版した百人一首の英訳本『A Hundred Verses from Old Japan』の挿絵を元にAdobe Firefly(生成AI)で色を付けて、アレンジしたイメージです。
- 藤原基俊の略年表
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- 1060年
- 藤原俊家の子として誕生
- 1105年頃
- 『堀河百首』の作者の一人となる
- 1138年
- 出家し、覚舜と名乗る
- 1142年
- 死去
- 備考
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- 晩年、藤原俊成を弟子に迎える
- 藤原基俊の系図
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藤原基俊は、藤原道長の曽孫です。官位は従五位上・左衛門佐(左衛門府の次官)にとどまりました。
官位が低かったためか、宮廷での和歌の行事にはなかなか参加できなかったと考えられます。基俊が公の和歌行事に参加できたのは「堀河院御時百首和歌」で、すでに46歳頃でした。その後は歌合に歌人や判者として参加し、和歌だけでなく漢詩文にも通じた人物として知られ、源俊頼と並ぶ院政期歌壇の重鎮として活躍しました。
晩年に藤原俊成を弟子にしています。
- 付録
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- 「標茅が原」の歌
- 藤原忠通は、藤原基俊からの口利きの依頼に対して、次の歌から一節を引用して回答しました。
この歌は、清水観音が詠んだとされています。
「標茅が原のさしも草」には「さしもありとも」という句が続くのを省略した序詞になっています。原文
なほ頼め 標茅が原の さしも草
われ世の中に あらむ限りは 『新古今和歌集』清水観音の御歌現代語訳
私を頼りにしなさい 標茅が原のさしも草のように
胸を焦がすほど悩んでいたとしても
私がこの世にいるかぎりは。 - 維摩会(ゆいまえ)
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出典:東京国立博物館 興福寺で毎年10月10日から7日間行われる維摩経を講ずる法会のことです。この講師に選ばれることは僧侶としての栄誉であり、講師を務めなければ、寺院の幹部への昇進が認められなかったといわれています。興福寺は藤原氏の氏寺であり、藤原氏の氏の長者であった藤原忠通は、興福寺の運営に関わり、講師を依頼する立場でした。その忠通が「なほ頼め標茅原の…」と詠んだことは、依頼を引き受けたうえで、「心配せずに私を頼り、安心して待っていなさい」と伝える返事だったと考えられています。