百人一首の中には、様々なジャンルの歌が存在します。
桜・鳥・山・風・鹿などの『自然』をキーワードに入れたもの、
春・夏・秋・冬の『四季』を情景に組み込んだもの、
『故郷』を想う歌や『命』の儚さを詠ったものなど……。
同じ歌でも、こんなに短い言葉の中でも、視点を変えると様々な要素が垣間見えるものも多く、
一つの百人一首の「味わい方・楽しみ方」と言えるでしょう。
そして、この100首の中で最も多いジャンルと言えるのが、
『恋』!
その中でも私のイチオシの恋歌(恋わずらいの歌)は、ずばり!
92番!
『わが袖は汐干に見えぬ沖の石の 人こそ知らね乾く間もなし』
そこで、今回はこの92番歌について少し詳しくお話していきましょう。
『石に寄せる恋』という難題に二条院讃岐が詠んだ秀歌!
『わが袖は汐干に見えぬ沖の石の 人こそ知らね乾く間もなし』
この歌の作者の『二条院讃岐(にじょういんのさぬき)』は、
平安時代末期から鎌倉時代初期(1141年?~1217年?)の歌人だと言われています。
源頼政の娘であり、激動の時代のなかでも歌人として歌を詠み続けたそうです。
晩年は出家したということです。
ある日の歌合(うたあわせ)※歌を披露するイベント にて、
二条院讃岐にお題『石に寄せる恋(寄石恋)』という超難題が出されました。
周りの他の歌人たちも哀れむような、難しいお題の中、
讃岐は『沖の石』というキーワードを思い付き、この歌を見事に詠いあげたのでした。
【現代語訳】
他の人は知らないでしょうが、私の『袖』は、引き潮の時にも隠れてしまって見えない『沖の石』のように、涙で濡れて乾く暇もありません。
海の潮が引いても海面から顔を出さない『沖の石』を例えに出し、涙で濡れ『袖』が乾く間も与えないという『切ない乙女の恋心・恋わずらいの気持ち』を巧みに表現しました。
- 『沖の石』→ 潮干時にも深いところにある石は顔を出さない(常に濡れている)
- 『袖』→ 恋わずらいによって、人知れず流した涙で乾く間もない(常に濡れている)
実際、この歌は当時も周りから非常に高い評価を受けたそうです。
その証拠に、
当時歌語ではなかった『沖の石』が福井県若狭と宮城県多賀城市の「歌枕」になったり、
讃岐が「沖の石の讃岐」という異名を授かったり
というエピソードが残されています!
秀逸な句であること間違いなし!百人一首には、この歌の他にも『恋の句』がいっぱい!
いかがだったでしょうか。
『わが袖は汐干に見えぬ沖の石の 人こそ知らね乾く間もなし』の技巧さと、
作者『二条院讃岐』の素晴らしいセンス、
そして何よりも、
この歌から感じられる切なき『恋心』を理解していただけたでしょうか。
百人一首には、この歌の他にも
忍ぶ気持ち(恋心)や失恋・嫉妬、禁じられた恋など…『恋の歌』がたくさん存在しています。
【3番】
『足曳きの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む』
こちらは、秋の長夜を妻と離れ寂しくて眠れない感情を山鳥の習性に掛けて詠った歌です。
⇒ 【百人一首 3番】足曳きの…歌の現代語訳と解説!柿本人麻呂はどんな人物なのか
【19番】
『難波潟短き葦のふしのまも あはでこの世をすぐしてよとや』
こちらは、美貌と知性を兼ね備え、恋多き歌人「伊勢」が、恋人の心変わりを機に詠んだ歌だとされています。
⇒ 【百人一首 19番】難波潟…歌の現代語訳と解説!伊勢はどんな人物なのか
【20番】
『侘びぬれば今はた同じ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ』
こちらは、タブーな恋と知りながらも「命を懸けてでも逢いたい!」という情熱歌となっています。
⇒ 【百人一首 20番】侘びぬれば…歌の現代語訳と解説!元良親王はどんな人物なのか
【86番】
『嘆けとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな』
こちらは、作者「西行法師」の、月を「擬人化」しながら、「隠しきれない切ない恋心」を巧く表現した歌ですね。
⇒ 【百人一首 86番】嘆けとて…歌の現代語訳と解説!西行法師はどんな人物なのか
【90番】
『見せばやな雄島のあまの袖だにも 濡れにぞ濡れし色はかはらず』
こちらは、「血の涙で赤く色が変わった」と作者の強烈な恋の苦悩を表現した歌です。
などなど、
気になった歌があった方は、是非それぞれの詳細解説ページもご参照くださいませ。
もちろん、とても昔に作られた『恋歌』たちではありますが、
もしかすると、現代にも通ずる『恋心』を感じられるかもしれませんね。
今のあなたの『恋愛成就』のヒントになる歌もあるかも!?
Let’s sing love songs!