百人一首解説

【百人一首 83番】世の中よ…歌の現代語訳と解説!皇太后宮大夫俊成はどんな人物なのか

世の中よ道こそなけれ思ひ入る

山の奥にも鹿ぞなくなる

【読み】

よのなかよみちこそなけれおもひ(い)いる

やまのおくにもしかぞなくなる

【83番】世の中よ~ 現代語訳と解説!

【現代語訳】

(つらい)世の中というものには逃れる道はないのでしょう。思いつめて入った山の奥でも鹿が悲しげに鳴いています。

【解説】

作者 俊成は、百人一首の撰者である藤原定家の父。

俊成は若かりし頃、動乱の時代で周りの人々が出家していく中、自らも身の振り(出家すべきか否か)を悩んでいたそうです。

そんなある日思い悩みながら、分け入った山奥で鹿の求愛の鳴き声を聞き、『つらい世からは逃れられないのだなぁ』としみじみと思いを馳せつつも、前向きに詠んだ歌。

彼は出家せず、歌人として前向きに生きていく覚悟をしたのでした。

皇太后宮大夫俊成とは、どんな人物??

平安時代末期から鎌倉時代初期の役人であり歌人です。

俊成は役人としてのものよりも、歌人としての功績が特に評価された人物でしょう。

10歳で父親と死別したこともあり、当初は世の中への迷いや悲しみを込めた歌を詠いあげていました。

しかしその後、崇徳院や九条兼実の歌壇の中でその才能と感性は研鑽され、格調高い風情や奥行きを持つと評価されました。

彼の美的センスは能楽や茶道にも影響を与え、この時代の芸術に新たな理念を与えたと言われています。

まとめ!

上の句 世の中よ道こそなけれ思ひ入る
下の句 山の奥にも鹿ぞなくなる
歌人 皇太后宮大夫俊成(1114~1204年)
決まり字 よのなかよ
決まり字数 5
収載和歌集 千載和歌集

『百人一首の撰者 定家』の父親「俊成」。

もし人生の岐路に立っていたこの時、彼が出家していたなら、『百人一首』は誕生しなかったかもしれませんね!