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Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox
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山部赤人
田子の浦に
うちいでてみれば
白妙の
富士の高嶺に
雪は降りつつ
ふしのたか
ねにゆきは
ふりつつ
たご
- 4番歌
-
田子の浦に
うちいでてみれば 白妙の
富士の高嶺に 雪は降りつつ
作者:山部赤人(生没年不詳)
出典:新古今和歌集 冬
- 現代語訳
- 田子の浦に出てみたら、富士の高嶺に真っ白な雪がしきりに降っているよ。
- 解説
- 田子の浦は、駿河湾の西沿岸地域(由井から蒲原付近の海岸のあたり)を指します。この辺りでは山々が海岸線に迫っており、田子の浦に出ると初めて富士山の全貌が姿を現す場所です。また、日本では古くから「雪月花」という言葉に代表されるように、雪は月や花と並ぶ神聖なものと捉えられてきました。雄大で荘厳な富士山の頂に降り積もる雪の景色を重ね、その感動が歌に込められています。
- どんな人?
- 山部赤人は奈良時代の万葉歌人で、聖武天皇に仕えました。下級官人でしたが、自然を歌に詠む才に恵まれ、天皇の行幸に随行して各地の自然を詠んだ多くの歌を残しています。柿本人麻呂と並び、「歌聖」として後世に称えられました。
- 品詞分解と文法
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左の原文の単語をタップ(クリック)すると、品詞・活用・解説がここに表示されます。
- 歌のイメージ
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この画像は、William N. Porter氏が1909年にイギリスで出版した百人一首の英訳本『A Hundred Verses from Old Japan』の挿絵を元にAdobe Firefly(生成AI)で色を付けて、アレンジしたイメージです。
- 山部赤人の略年表
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山部赤人の生没年や詳しい経歴には、不明な点が多くあります。下記は史料などから推定される主な出来事です。
- 724年
- 聖武天皇の時代、作歌年の分かる歌が始まる
- 736年
- 作歌年の分かる最後の歌を詠む
- 備考
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- 三十六歌仙の一人に数えられる
- 付録
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- 原歌
- 山部赤人の百人一首の歌の原歌は『万葉集(第3巻 317番歌)』の反歌です。反歌とは、長歌のあとに添える短歌のことです。長歌は五・七の二句を3回以上繰り返し、最後に五・七・七で締めくくる構成の歌です。
- 原歌となった歌(長歌)
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原文
天地の 分れし時ゆ
神さびて 高く貴き
駿河なる 富士の高嶺を
天の原 ふりさけ見れば
渡る日の 影も隠らひ
照る月の 光も見えず
白雲も い行きはばかり
時じくそ 雪は降りける
語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ
富士の高嶺は 『万葉集』山部赤人現代語訳
天と地が分かれたときから
神々しく高く貴い
駿河の富士の高嶺を
遥かな大空に仰ぎ見ると
空を渡る太陽も頂に隠れて
夜空に照る月の光も見えない。
白雲も富士に遮られ進めず
いつも雪が降っている
これからも語り継ぎ
言い継いでいきたい。
この富士の高嶺を。 - 原歌となった歌(反歌)
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元の歌(反歌)
田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ
富士の高嶺に 雪は降りける 『万葉集』山部赤人現代語訳
田子の浦に出てみたら、
富士の高嶺に真っ白な雪が降っていた。 - 赤人が伊予国を訪れたときに詠んだ歌
- 次の歌は、赤人が伊予国の温泉を訪れたときに詠まれたものです。661年、百済救援のため九州へ向かう斉明天皇の一行が熟田津に滞在した際、額田王が熟田津の歌を詠んでいます。それから約半世紀が過ぎて、伊予国を訪れた赤人は、額田王の歌を踏まえ、かつて熟田津から船出した大宮人に思いを馳せて詠んだと考えられています。
元の歌(反歌)
ももしきの 大宮人の 熟田津に
船乗りしけむ 年の知らなく 『万葉集』山部赤人現代語訳
宮廷の人々が熟田津に船乗りしたであろう年がいつの年のことだったのか、わからなくなってしまったことだ。
- 行幸先で詠んだ歌(万葉集)
- 山部赤人は叙景歌に優れた歌人で、天皇の行幸先で歌を詠むことがありました。
次の歌は、聖武天皇が紀伊国(現在の和歌山県)に行幸された際に山部赤人が詠んだ歌です。「若の浦」は、和歌山市の南西部に位置する景勝地の総称で、2017年に「絶景の宝庫 和歌の浦」として日本遺産に認定されました。原文
若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ
葦辺をさして 鶴鳴き渡る 『万葉集』山部赤人現代語訳
和歌の浦に潮が満ちて来ると干潟がなくなるので、葦のあたりを目指して鶴が鳴き渡っています。
次の歌は、聖武天皇が吉野に行幸された際に山部赤人が詠んだ歌です。
原文
ぬばたまの 夜の更けゆけば
久木生ふる
清き川原に
千鳥しば鳴く 『万葉集』山部赤人現代語訳
夜が更けてゆくと、久木が生える清らかな川原に
千鳥がしきりに鳴く。 - 春の野を詠んだ歌
- 次の歌は、春の野を詠んだ歌で、万葉集に収められています。
原文
春の野に すみれ摘みにと 来し我ぞ
野をなつかしみ 一夜寝にける 『万葉集』山部赤人現代語訳
春の野にすみれを摘もうと来た私だったが、野辺に心をひかれ、一夜を過ごしてしまったよ。
- 富士山を詠んだ和歌
- 次の歌は、平安時代前期の歌人・藤原忠行のものです。彼は現在の静岡県知事にあたる遠江守を務めた人物です。当時の富士山は、今のような静かな姿ではなく、空高く噴煙をたなびかせる荒々しい活火山でした。
地元の長官としてこの地に立った忠行の目には、現代の私たちよりもはるかに雄大で、生命力に満ちた富士の姿が映っていたことでしょう。
原文
君といへば 見まれ見ずまれ 富士の嶺の
珍しげなく 燃ゆるわが恋 『古今和歌集』藤原忠行現代語訳
あなたのこととなると、逢っているときも逢えないときも、富士山の嶺のように、私の恋心はいつも噴煙を上げて燃え続けています。
- 富士山
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撮影:2025年12月29日(新幹線の車窓から) 新幹線の車窓に映る今の富士は穏やかですが、かつては天を焦がすほどの噴煙を上げる、荒ぶる姿を見せていたそうです。
天を焦がすように噴煙を上げ続ける様子に、当時の人々は胸を焦がすような情熱を重ねていたのかもしれません。
- 和歌宮神社
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Sablier de Verrie, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons 静岡県静岡市清水区蒲原にある山部赤人が祀られている神社です。創建時期ははっきりしていませんが、山部赤人が蒲原宿の吹上の浜(富士川の少し西)で詠んだ百人一首の歌が、神社創建の由来とされています。
- 葛飾北斎による浮世絵
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National Diet Library, Public domain, via Wikimedia Commons 江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎による作品『百人一首姥かゑとき』です。百人一首の歌を乳母がわかりやすく絵で説明するという趣旨で制作されたものです。
北斎が描いたのは田子の浦に至るまでに山が海辺に迫っている薩埵峠あたりではないかと思われます。峠を越える人々を近景に、遠方に富士山を配置した構図が魅力的です。
- 歌川国芳の『百人一首之内』
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Utagawa Kuniyoshi, Public domain, via Wikimedia Commons 江戸時代の浮世絵師・歌川国芳による浮世絵です。
百人一首の和歌に合わせた情景が描かれています。国芳が描いた江戸時代では、富士山はすでに噴火が落ち着き、現在の新幹線の窓から見える姿に近い状況でした。
時代を超えて愛される富士山の姿が垣間見えるようです。