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Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox
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柿本人麻呂
あしびきの
山鳥の尾の
しだり尾の
ながながし夜を
ひとりかも寝む
なかなかし
よをひとり
かもねむ
あし
- 3番歌
- あしびきの
山鳥の尾の
しだり尾の
ながながし夜を ひとりかも寝む
作者:柿本人麻呂(生年不詳~708年頃)
出典:拾遺和歌集 恋
- 現代語訳
- 山鳥の垂れ下がる尾のような長い長い夜を独りさびしく寝るのだろうか。
- 解説
- この歌は、一人寂しく寝る夜の長さを山鳥のだらりと垂れ下がる長い尾に例えて詠まれました。山鳥のつがいは昼は一緒に過ごしても、夜は谷を挟んで別々の山で過ごす習性があると考えられていて、作者はこの習性と自身の孤独な夜を重ね合わせて、切ない感情を歌に込めたと考えられます。
- どんな人?
- 柿本人麻呂は、朝廷に仕え、天皇の賛歌や挽歌などを詠んだことで知られています。彼は抒情詩に優れており、山部赤人とともに「歌聖」として賞賛され、和歌の神様として尊ばれています。石見国(=島根県)の鴨島という地で最期を迎えたとされていますが、その死因は行き倒れ説と刑死説があり、定かではありません。
- 品詞分解と文法
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左の原文の単語をタップ(クリック)すると、品詞・活用・解説がここに表示されます。
- 歌のイメージ
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この画像は、William N. Porter氏が1909年にイギリスで出版した百人一首の英訳本『A Hundred Verses from Old Japan』の挿絵を元にAdobe Firefly(生成AI)で色を付けて、アレンジしたイメージです。
- 柿本人麻呂の略年表
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柿本人麻呂の生没年や詳しい経歴には、不明な点が多くあります。下記は史料などから推定される主な出来事です。
- 680年
- 万葉集に人麻呂の歌が確認できる
- 689年
- 草壁皇子の挽歌を詠む
- 708年頃
- 石見国で死去したとされる
- 1723年
- 正一位と柿本大明神の神号を贈られる
- 備考
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- 三十六歌仙の一人に数えられる
- 付録
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- 原歌
- 百人一首に採られた柿本人麻呂の歌は、拾遺和歌集が出典ですが、原歌は『万葉集(第11巻:2802番歌)』だといわれており、詠み人知らずになっています。時代を経ながらアレンジされて、柿本人麻呂の歌になったといわれています。
原文
思へども 思ひもかねつ あしひきの
山鳥の尾の 長きこの夜を 『万葉集』詠み人知らず現代語訳
どんなにあなたのことを思っても、思いは尽きない。
この夜は山鳥の尾のように長いから。 - 山鳥を詠んだ長歌(抜粋)
- 山鳥は、昼間はつがいで一緒に過ごしますが、夜になると谷を挟んで別々の山で過ごすと考えられていました。この習性は、日本最古の歌集『万葉集』の中でも詠まれており、当時の人々にとってよく知られた考えだったようです。
原文
あしひきの 山鳥こそば 峰向ひに
妻問ひすと言へ うつせみの
人なる我れや 何すとか
一日一夜も 離り居て 嘆き恋ふらむ 『万葉集』大伴家持現代語訳
山鳥は谷を隔てた峰に向かって妻を呼んで嘆くように、
人である私はたった一日一夜あなたと離れるだけで、
どうしてこれほど嘆き、恋焦がれるのだろうか。 - 枕草子に登場する山鳥
- 清少納言も山鳥の雌雄が夜は谷を隔てて過ごす習性を聞いたことがあったようで、次のように枕草子に綴っています。
原文
山鳥。友を恋ひてなくに、鏡を見すれば慰むらむ、心わかう、いとあはれなり。谷隔てたる程など心苦し。 『枕草子』清少納言現代語訳
山鳥は、友を恋しがって鳴くが、鏡を見せると安心するらしい。うぶで大変いじらしい。雌雄が谷を隔てて離れているときはかわいそうだ。
- 後鳥羽院が本歌取りした歌
-
後鳥羽院は、柿本人麻呂の「あしびきの山鳥の尾の…」を本歌取りした歌を詠んでいます。
「遠山鳥」とは、山鳥の別名です。原文
桜咲く 遠山鳥の しだり尾の
ながながし日も あかぬ色かな 『新古今和歌集』後鳥羽院現代語訳
遠くの山に咲く桜。遠山鳥のしだり尾のように
長い一日をかけて見てもあきない色だな。 - 夜空を詠んだロマンチックな歌
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次の歌は、柿本人麻呂によって詠まれました。雲を波に、月を船に、星を林に見立てています。
原文
天の海に 雲の波立ち 月の船
星の林に 漕ぎ隠る見ゆ 『万葉集』柿本人麻呂現代語訳
天の海に 雲の波が立ち 月の船が
星の林に 漕ぎ隠れてゆくのが見える。 - 柿本人麻呂が詠んだ皇族の挽歌
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柿本人麻呂は、持統天皇に仕えた宮廷歌人でした。
持統天皇の皇子・草壁皇子が亡くなったときに柿本人麻呂は、次の歌を詠みました。原文
あかねさす 日は照らせれど ぬばたまの
夜渡る月の 隠らく惜しも 『万葉集』柿本人麻呂現代語訳
太陽は照っていますが、夜空を渡る月のように草壁皇子がお隠れになられたことが惜しいことです。
次の歌の舞台は、軽皇子が狩猟をしている安騎野。草壁皇子を月に、夜明けの光を軽皇子に見立てています。月が沈みゆくように亡くなった草壁皇子を偲びつつ、夜明けの光が世界を照らし始めるように、軽皇子が父の意志を受け継ぎ、新しい時代を治めていくことを壮大に表現しています。
原文
東の 野に炎の 立つ見えて
かへり見すれば 月傾きぬ 『万葉集』柿本人麻呂現代語訳
東の方にある野原に夜明けの光が射し始めたとき、
振り返ると、西の空には月が傾いていた。 - 宇治の河辺で無常観を詠んだ歌
- 次の歌は、柿本人麻呂が荒廃した近江国から藤原京に行く際に宇治の河辺で詠んだと伝わっています。
「もののふの」は「八十」を導く枕詞。「氏」と「宇治」が掛詞になっています。
廃都となった大津京を目の当たりにした柿本人麻呂が世の移り変わりの無常観を詠んだのではないかと考えられています。原文
もののふの 八十氏河の 網代木に
いさよふ波の 行く方知らずも 『万葉集』柿本人麻呂現代語訳
朝廷に仕える様々な役人たちは、宇治川の網代木にいざよう波のように行方はわからないことだ。
- 柿本人麻呂の辞世の句
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柿本人麻呂の最期については、様々な説があり、どのように亡くなったのか定かではありませんが、彼は最期に妻を想った歌を残しました。
原文
鴨山の 岩根し枕ける われをかも
『万葉集』柿本人麻呂
知らにと妹が 待ちつつある現代語訳
鴨山の岩を枕に死のうとしている私を妻は何も知らずに待ち続けているのだろうか。
- いろは歌
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いろは歌は、仮名文字を一度ずつ使った全47文字から成る歌で、仮名を覚える手本として古くから親しまれてきました。
作者は誰かはっきりわかっていませんが、一説によると、この歌は柿本人麻呂を偲んで作られたと言われています。
いろは歌は七文字と五文字のリズムの今様形式の歌ですが、この歌を七文字ずつ区切って、各行の最後の文字を拾って読むと「とかなくてしす」→「咎なくて死す」という意味が導き出せます。そのため、この歌は無実の罪で命を落としたとされる柿本人麻呂を悼む暗号ではないかと考えられています。
原文
色は匂へど 散りぬるを
作者不明
我が世誰ぞ 常ならん
有為の奥山 今日超えて
浅き夢見じ 酔ひもせず現代語訳
花は美しく咲いても散ってしまうのに
私たちの住むこの世で誰が変わらずにいられるだろうか。
険しい人生という山を今日も乗り越えて
儚い夢を見ることもなく、酔っぱらうこともなく。7文字ずつ並べたときの文末の文字
いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす - 阿騎野人麻呂公園
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Yanajin33, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons - 葛飾北斎による浮世絵
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Katsushika Hokusai, CC0, via Wikimedia Commons 江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎による作品『百人一首姥かゑとき』です。百人一首の歌を乳母がわかりやすく絵で説明するという趣旨で制作されたものです。
北斎は網を曳く姿を描くことで、枕詞の「あしびきの」を表そうとしたのだと思われます。また、長くたなびく煙は長い夜の時間を表現しているのかもしれません。
- 歌川国芳の『百人一首之内』
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Utagawa, Kuniyoshi, 1798-1861, Public domain, via Wikimedia Commons 江戸時代の浮世絵師・歌川国芳による浮世絵です。
百人一首の和歌に合わせた情景が描かれています。