和歌の技法:本歌取り
本歌取りとは、よく知られた古い歌(本歌)の言葉を一句か二句ほど取り入れて、新しい歌を詠む技法です。読み手が本歌を思い浮かべることで、新しい歌に本歌の世界が重なり、表現に奥行きが生まれます。
当時の歌人や読み手は名歌をよく覚えていたので、取り入れた言葉を聞けば、すぐに本歌が思い浮かびました。どの言葉を残し、どこを変えたのかを味わうのが本歌取りの楽しみです。ただし、評価は一様ではなく、六条藤家の藤原清輔は「古歌を盗む」ものと批判し、御子左家の藤原俊成は表現技法として評価しました。
本歌取りが最も盛んになったのは『新古今和歌集』の時代です。百人一首の撰者・藤原定家は、歌論書『近代秀歌』『詠歌大概』で、本歌取りの心得を次のように示しました。
- 取るのは少しだけ:本歌から取るのは二句まで。句の置き所を変える場合は、二句に加えて3、4字まで。
- 主題を変える:本歌が四季の歌なら、恋や雑の歌にするなど、主題を変える。
- 本歌は古典から:同時代の人の歌は本歌にしない。
下に挙げた歌には定家より前の時代の歌も含まれ、すべてがこの心得どおりというわけではありません。
下の図では、左に本歌、右に本歌取りした歌を一句ずつ並べています。本歌から取った言葉を色付きで示し、同じ言葉を含む句どうしを線で結んでいます。線が水平なら同じ位置のまま、斜めなら位置を移して取っています。見出しをタップすると、その歌のページを開きます。
後の歌人に本歌取りされた百人一首の歌
1番歌 天智天皇 → 和泉式部
本歌:天智天皇
秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ 我が衣手は 露にぬれつつ本歌取り:和泉式部
秋の田の 庵に葺ける 苫をあらみ もりくる露の いやは寝らるる- 本歌の現代語訳
- 秋の田のほとりにある仮小屋は、屋根の苫の編み目が粗くて、私の袖は夜露に濡れているよ。
- 本歌取りした歌の現代語訳
- 秋の田のほとりにある仮小屋は、屋根の苫の目が粗くて、滴り落ちてくる露でどうして眠れようか。『続後撰和歌集』
変えたところ:天智天皇の歌では、夜露が静かに袖を濡らしていきます。和泉式部は同じ仮小屋と粗い苫を詠みながら、結びを「漏れてくる露でどうして眠れようか」という率直な嘆きに変えました。見張りをするはずの小屋で、眠れなくて困ると詠んでいます。
1番歌 天智天皇 → 左京大夫顕輔
本歌:天智天皇
秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ 我が衣手は 露にぬれつつ本歌取り:左京大夫顕輔
秋の田に 庵さす賤の 苫をあらみ 月とともにや もり明すらん- 本歌の現代語訳
- 秋の田のほとりにある仮小屋は、屋根の苫の編み目が粗くて、私の袖は夜露に濡れているよ。
- 本歌取りした歌の現代語訳
- 秋の田のほとりに庵を作る農民は、粗末な屋根で苫の編み目が粗いので、射しこむ月の光と共に夜を明かすだろう。『新古今和歌集』
変えたところ:顕輔(79番)は、露を月の光に置き換え、苫の目から月の光が漏れ入る情景にしました。「もり」には「漏り(月の光が漏れる)」と「守り(番をする)」の二つの意味が重なると読むこともできます。また、天智天皇が「わが衣手は」と自分のこととして詠んでいるのに対し、顕輔は農民(賤)の姿を外から思いやり、「夜を明かすだろう」と推し量っています。
2番歌 持統天皇 → 藤原良経
本歌:持統天皇
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山本歌取り:藤原良経
雲晴るる 雪の光や 白妙の 衣ほすてふ 天の香久山- 本歌の現代語訳
- 春は過ぎ去り、夏が来たようだ。夏になると衣が干されるという天の香具山に白い衣が干されているよ。
- 本歌取りした歌の現代語訳
- 天の香具山は夏になると衣が干されるというけれども、今は雲が晴れて雪の光がその衣のように輝いているよ。『秋篠月清集』
変えたところ:藤原良経(百人一首では91番・後京極摂政前太政大臣)は、持統天皇の歌の三句目から結句までをそのまま取りながら、夏の歌を冬の景色に移しました。「白い衣」は、雲が晴れて天の香久山に輝く雪の光になっています。あえて夏の歌を本歌にして冬の景色を詠むことで、時空を超えた趣を取り入れようとしたのかもしれません。
3番歌 柿本人麻呂 → 後鳥羽院
本歌:柿本人麻呂
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む本歌取り:後鳥羽院
桜咲く 遠山鳥の しだり尾の ながながし日も あかぬ色かな- 本歌の現代語訳
- 山鳥の垂れ下がる尾のような長い長い夜を独りさびしく寝るのだろうか。
- 本歌取りした歌の現代語訳
- 遠くの山に咲く桜。遠山鳥のしだり尾のように長い一日をかけて見てもあきない色だな。『新古今和歌集』
変えたところ:人麻呂の歌では、山鳥の長い尾が独り寝の長い夜を表していました。後鳥羽院(99番)は同じ言葉で、いくら眺めても見飽きない桜の、春の長い一日を詠んでいます。藤原俊成の九十賀を祝う屏風歌として詠まれ、和歌の師と仰ぐ俊成の長寿を願う気持ちが込められていると考えられます。「遠山鳥」は山鳥の別名です。
6番歌 中納言家持 → 壬生忠岑
本歌:中納言家持
かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きをみれば 夜ぞふけにける本歌取り:壬生忠岑
かささぎの 渡せる橋の 霜の上を 夜半にふみわけ ことさらにこそ- 本歌の現代語訳
- かささぎの群れが翼を連ねて渡すという天の川は、霜が降りたように白く冴えわたっている。その様子を見ていると、夜が深まっていくようだ。
- 本歌取りした歌の現代語訳
- 宮中の階のように御殿に置いた霜の上を、夜半に踏み分け、ことさらあなたの所に参った次第です。『大和物語』
変えたところ:家持の歌は、冬の夜空を静かに見上げた歌です。藤原定国が夜中に酒に酔って左大臣・藤原時平を訪ね、「どこかのついでに来たのか?」と訝しまれたとき、定国の随身だった壬生忠岑は、とっさにこの歌を本歌取りしました。かささぎの橋を時平の御殿の階に見立て、「わざわざ参ったのです」と答えたのです。この機転が場を和ませたと『大和物語』に書かれています。
23番歌 大江千里 → 鴨長明
本歌:大江千里
月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど本歌取り:鴨長明
ながむれば 千々にもの思ふ 月にまた わが身ひとつの 峰の松風- 本歌の現代語訳
- 月を見るとあれこれと悲しくなります。私ひとりだけに訪れた秋ではないのですが。
- 本歌取りした歌の現代語訳
- 物思いをさせる月を眺めていると、さらに私一人にだけ寂しい峰の松風が吹く。『新古今和歌集』
変えたところ:『方丈記』の作者・鴨長明が「月前松風」という題で詠んだ歌です。千里の「ちぢにもの」「わが身ひとつの」を取り、「月」を三句目に移したうえで、結句に「峰の松風」を加えました。千里が「私ひとりの秋ではないけれど」と詠んだのに対し、長明は、松風が私ひとりにだけ寂しく吹くと詠んでいます。
32番歌 春道列樹 → 藤原定家
本歌:春道列樹
山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり本歌取り:藤原定家
木の葉もて 風のかけたる しがらみに さてもよどまぬ 秋の暮れかな- 本歌の現代語訳
- 山間の川に風がかけたしがらみとは、流れきらずにたまっている紅葉だったよ。
- 本歌取りした歌の現代語訳
- 木の葉が風に吹き寄せられてしがらみのようになっているが、そうであっても淀むことなく流れていく秋の暮れであることよ。『拾遺愚草』
変えたところ:「風のかけたるしがらみ」は、春道列樹が最初に用いた独創的な表現だったと考えられています。この表現こそが、百人一首の撰者・藤原定家(97番)が本歌取りするほど気に入った理由だったのでしょう。列樹の歌では紅葉のしがらみが川の流れをせき止めていますが、定家の歌では、そのしがらみがあっても秋の暮れは淀むことなく流れていきます。
51番歌 藤原実方朝臣 → 和泉式部
本歌:藤原実方朝臣
かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな もゆる思ひを本歌取り:和泉式部
けふもまた かくや伊吹の さしも草 さらば我のみ 燃えや渡らむ- 本歌の現代語訳
- これほどまでに恋焦がれているとあなたに言えるでしょうか。伊吹山のさしも草ではありませんが、それほどまでとはあなたはご存知ないでしょう。私の(お灸のように熱い)燃える想いを。
- 本歌取りした歌の現代語訳
- 今日もまたあなたはそんな冷たいことを言うのでしょうか。それならば私だけがさしも草のように燃え続けていましょう。『新古今和歌集』
変えたところ:実方の歌が溢れんばかりの恋心をストレートに訴えているのに対し、和泉式部は、相手が自分を振り向いてくれるまで心に灯をともし続けようとする、包容力に満ちた心を詠んでいます。
56番歌 和泉式部 → 殷富門院大輔
本歌:和泉式部
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの 逢ふこともがな本歌取り:殷富門院大輔
いかにせむ 今ひとたびの 逢ふことを 夢にだに見て 寝覚めずもがな- 本歌の現代語訳
- この世を去ってしまうのでしょう。あの世へ持っていく思い出に、もう一度あなたにお会いしたいものです。
- 本歌取りした歌の現代語訳
- どうしたらよいでしょう。夢の中でもいいからあなたにもう一度会いたい。その眠りからずっと覚めずにいたい。『新勅撰和歌集』
変えたところ:和泉式部は、あの世へ持っていく思い出に、もう一度会いたいと詠みました。殷富門院大輔(90番)は「今ひとたびの」「逢ふこと」を二句目・三句目に移し、願いを表す「もがな」で結ぶ形も受け継ぎながら、夢の中でもいいから会って、その眠りから覚めずにいたいと詠んでいます。
古い歌を本歌取りした百人一首の歌
90番歌 源重之 → 殷富門院大輔
本歌:源重之
松島や 雄島の磯に 漁りせし 海人の袖こそ かくは濡れしか百人一首:殷富門院大輔
見せばやな 雄島のあまの 袖だにも ぬれにぞぬれし 色はかはらず- 本歌の現代語訳
- 松島の雄島の磯で漁をしている海女の袖だったら、涙で濡れた私の袖ほどに濡れているでしょうか。『後拾遺和歌集』
- 本歌取りした歌の現代語訳
- あなたに見せたい。私の血の涙に濡れて色が変わってしまったこの袖を。あの雄島の漁師の袖でさえ、ひどく濡れても色は変わらないのに。
変えたところ:殷富門院大輔の歌は、源重之の歌への返歌として詠まれたと言われています。重之が「雄島の海人の袖ほど私の袖は濡れている」と詠んだのに対し、殷富門院大輔は「その海人の袖でさえ、ひどく濡れても色は変わらないのに」と返しました。自分の袖は血の涙(紅涙)で色が変わってしまった、という思いが込められています。
91番歌 『古今和歌集』詠み人知らず → 後京極摂政前太政大臣
本歌:詠み人知らず
さむしろに 衣かたしき 今宵もや 我を待つらむ 宇治の橋姫百人一首:藤原良経
きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む- 本歌の現代語訳
- 自分の衣だけを敷いて今夜もひとり寂しく私を待っているのだろうか。宇治の橋姫は。『古今和歌集』
- 本歌取りした歌の現代語訳
- こおろぎが鳴いている霜のおりる夜、寒い筵の上に自分の衣だけを敷いて、私はひとり寂しく寝るのだろうか。
変えたところ:良経が本歌取りした狙いは、イメージの重層性にあります。本歌の『古今和歌集』の時代、宇治の橋姫は「愛しい人」の象徴でしたが、のちに『源氏物語』の影響で「孤独に朽ちてゆく儚い存在」という陰影を帯びるようになりました。良経は、本歌由来の古典的な華やかさと、源氏物語がもたらした寂寥感という、相反する2つのイメージを融合させています。
92番歌 和泉式部 → 二条院讃岐
本歌:和泉式部
わが袖は 水の下なる 石なれや 人に知られで かわく間もなし百人一首:二条院讃岐
わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね かわくまもなし- 本歌の現代語訳
- 私の袖は水の下の石のようです。人知れず流す涙で私の袖は乾く暇もありません。『和泉式部集』
- 本歌取りした歌の現代語訳
- 私の袖は潮干のときも見えない沖の石のように、人に知られることはないけれども、涙で濡れて乾く暇もない。
変えたところ:和泉式部は、涙に濡れる袖を「水の下の石」にたとえました。二条院讃岐は初句と結句をそのまま取り、石を、潮が引いても見えない「沖の石」に置き換えています。この歌は評判になり、二条院讃岐は「沖の石の讃岐」と呼ばれました。
95番歌 最澄 → 前大僧正慈円
本歌:最澄
阿耨多羅 三藐三菩提の 仏たち わが立つ杣に 冥加あらせたまえ百人一首:前大僧正慈円
おほけなく 憂き世の民に おほふかな わがたつ杣に 墨染の袖- 本歌の現代語訳
- 最上の知恵を持たれる仏たちよ。私が立つこの杣に、冥加をお与えください。『新古今和歌集』
- 本歌取りした歌の現代語訳
- おこがましいけれども、このつらい悲しみに満ちた現世を生きる人々を私の袖で包んであげたい。比叡山に住みはじめた私の墨染の袖で。
変えたところ:本歌は、天台宗の開祖・最澄が延暦寺の総本堂・根本中堂を建立した際に、「わが立つ杣(比叡山)」に仏の加護を願って詠んだと伝えられています。慈円は、開祖の言葉を取って、墨染の袖で憂き世の民を包みたいという誓いの歌にしています。
式子内親王(89番)が『伊勢物語』の歌を本歌取りした歌
本歌:『伊勢物語』
ゆく蛍 雲のうへまで 往ぬべくは 秋風吹くと 雁に告げこせ本歌取り:式子内親王
秋風と 雁にやつぐる 夕暮の 雲近きまで ゆく蛍かな- 本歌の現代語訳
- 飛んでゆく蛍よ、雲の上まで行けるのなら、秋風が吹いていると雁に告げておくれ。
- 本歌取りした歌の現代語訳
- 秋風が吹いていると、雁に告げにいくのだろうか。雲に届きそうなほど高く飛んでゆく蛍よ。『風雅和歌集』
変えたところ:百人一首の歌ではありませんが、本歌取りのわかりやすい例として紹介します。式子内親王は、本歌の「ゆく蛍」「雲」「秋風」「雁」「告ぐ」をほとんどすべて使いながら、語順を逆にしているため、図の線が交差しています。本歌では蛍に「雁に告げておくれ」と頼んでいますが、式子内親王は、夕暮れに雲に届きそうなほど高く飛んでゆく蛍を見て、「雁に告げにいくのだろうか」と思いやっています。