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Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox
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藤原実方朝臣
かくとだに
えやはいぶきの
さしも草
さしも知らじな
もゆる思ひを
さしもしら
しなもゆる
おもひを
かく
- 51番歌
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かくとだに
えやはいぶきの
さしも草
さしも知らじな もゆる思ひを
作者:藤原実方朝臣(生年不詳~999年)
出典:後拾遺和歌集 恋
- 現代語訳
- これほどまでに恋焦がれているとあなたに言えるでしょうか。伊吹山のさしも草ではありませんが、それほどまでとはあなたはご存知ないでしょう。私の(お灸のように熱い)燃える想いを。
- 解説
- 『後拾遺和歌集』の詞書に「女のもとより雪降りはべる日帰りてつかはしける」とあります。一説には、清少納言に贈られた歌であると言われています。
- どんな人?
- 藤原実方は、貞信公の曽孫で、摂関家の流れをくむ名門の家柄に生まれ、将来を期待されていた人物でした。しかし、宮中で藤原行成との口論が原因で、行成の烏帽子を投げ捨てるという問題を起こし、一条天皇の怒りを買います。その結果、「歌枕を見てまいれ」と命じられ、陸奥へと左遷されることとなりました。この逸話は『古事談』に記されており、彼の波乱に満ちた人生を象徴する出来事として伝わっています。
- 品詞分解と文法
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- 歌のイメージ
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この画像は、William N. Porter氏が1909年にイギリスで出版した百人一首の英訳本『A Hundred Verses from Old Japan』の挿絵を元にAdobe Firefly(生成AI)で色を付けて、アレンジしたイメージです。
- 藤原実方の略年表
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- 973年
- 従五位下に叙される
- 975年
- 侍従となる
- 994年
- 左近衛中将となる
- 995年
- 陸奥守となり、陸奥国へ下る
- 995年
- 正四位下に叙される
- 999年
- 陸奥国で死去
- 藤原実方の系図
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藤原実方は藤原北家の小一条流に属する家系に生まれました。祖父の師尹は「安和の変」で重要な役割を果たし、最終的に左大臣・正二位にまで上り詰めました。しかし、実方の父である定時は早くに亡くなったため、最終的な官位は従五位下にとどまりました。父の早世により、実方は叔父の藤原済時の養子となりました。
実方は武官としての経歴を積み、986年に従四位下に昇進。しかし、一条天皇の前で藤原行成と和歌について口論になり、怒った実方は行成の烏帽子を打ち捨ててしまいました。この行いにより実方は天皇の怒りを買い、995年に陸奥守に左遷されることになったと伝えられています。実方は、源重之を従えて陸奥に下りましたが、長徳4年(999年)に任地で落馬し、その馬の下敷きになって亡くなりました。最終官位は正四位下でした。
- 付録
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- 歌枕「伊吹山」の候補地
- 平安時代によもぎの産地として和歌に詠まれた「伊吹山」については、栃木県の伊吹山と滋賀県と岐阜県の境にある伊吹山が候補に挙げられています。
- 伊吹山(栃木県)
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©北関東県境応援サイトふらっとろーかる 栃木県栃木市吹上地区にある丘陵。
『大日本地名辞書』(吉田東伍 著 富山房発行)には「伊吹山」を見出し語にして、 実方の一首を含めて三首の歌を取り上げ、次のように説明があります。 「さて伊吹山の事は、能因が坤元儀に 「此山は美濃と近江との境なる山にはあらず、下野なり」と記したるよし、 顕昭の䄂中抄にみゆ、また勝地吐懐編に、さしも草とよむは、皆下野なりと記したり」。
このため、実方が詠んだ「伊吹山」は、栃木県にある山を指していると考えられます。
- 伊吹山(滋賀県と岐阜県の境)
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滋賀県と岐阜県の境にある伊吹山。平安京から近く、古くから薬草の宝庫として知られていました。 しかし、よもぎの産地になったのは、江戸時代からといわれています。 地図へのリンク
- 藤原行成との確執
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殿上人たちが東山に桜見をしたときに、雨が降ってきました。
皆が慌てる中、藤原実方は次の歌を詠みました。
その歌は周囲から風流だと称賛されましたが、行成は「歌はおもしろし、
実方は痴なり」と冷たく評しました。
この一言を知った実方は、行成に恨みを抱くようになったといわれています。
原文
桜狩 雨は降りきぬ おなじくは
濡るとも花の 蔭に隠れむ 『撰集抄』藤原実方現代語訳
桜狩をしていたら雨が降って来た。
どうせ濡れるなら桜の蔭で雨宿りしましょう。 - 和歌の批評をめぐる大喧嘩
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Inoue Yasuji, Public domain, via Wikimedia Commons この浮世絵は、説話集『古事談』に記された有名な逸話を題材に描かれています。
雨の中での花見を詠んだ和歌をめぐり、藤原実方は藤原行成から厳しい批評を受けたことに激昂。口論の末、ついには行成の烏帽子を打ち落としてしまいました。
当時、烏帽子は成人男性が寝る時でさえ身に着けるもので、頭頂部を晒すことはこの上ない恥辱とされていました。その屈辱の度合いは、現代における「下着を脱がされること」よりも耐え難いものだったと言われています。
このあまりにも無礼な振る舞いは朝廷で問題視されました。
一条天皇は実方に対し、「歌枕を見てまいれ(各地の名所を詠んでこい)」と言い渡し、陸奥国への下向を命じたと伝えられています。図の中の赤い丸をクリックすると、登場人物の名前などが表示されます。
- 実方の恋人だった?清少納言の歌
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清少納言は多くの恋を経験した女性ですが、藤原実方もその恋人の一人だったとされています。あるとき、彼女は「実方が下野(現在の栃木県)に下るというのは本当ですか?」と尋ねられ、次の歌を詠みました。この歌は、実方が下野に赴任する際に清少納言が同行するという噂が背景にあったと考えられています。
原文
思ひだに かからぬ山の させも草
誰か伊吹の 里は告げしぞ 『枕草子』清少納言現代語訳
思いもかけないことです。さしも草が生える伊吹山の里ではありませんが、誰がそのように知らせたのですか。
- 和泉式部が本歌取りした歌
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次の歌は、百人一首に収められた藤原実方の作を、和泉式部が本歌取りした一首です。実方の原歌が溢れんばかりの恋心をストレートに訴えているのに対し、和泉式部は、相手が自分を振り向いてくれるまで心に灯をともし続けようとする、包容力に満ちた心を詠んでいます。
原文
けふもまた かくや伊吹の さしも草
さらば我のみ 燃えや渡らむ 『新古今和歌集』和泉式部現代語訳
今日もまたあなたはそんな冷たいことを言うのでしょうか。
それならば私だけがさしも草のように燃え続けていましょう。 - 居貞親王からの餞別の歌
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次の歌は、実方が陸奥に下ることになった際、居貞親王(後の三条天皇)から贈られた歌です。
実方が居貞親王から信頼された人物だったと感じさせられます。原文
わかれぢの 涙に袖も さそはれて
いかなる道に とまらざるらむ 『実方集』居貞親王現代語訳
別れの涙で袖を濡らし、その涙は止まらないようだ。
いかなる道に行く為にあなたは都に留まらないのだろう。 - 藤原実方の墓
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Bachstelze, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons 藤原実方の墓は、宮城県名取市にあります。彼が「阿古屋の松」という出羽国の歌枕を訪ねる途中、馬に乗ったまま笠島道祖神の前を通り過ぎようとしました。
地元の人々は、道祖神の祟りを避けるために下馬して拝むようにと忠告しましたが、実方はそれを無視して通り過ぎました。すると突如、馬が暴れ出し、実方は落馬。不運にも馬の下敷きになって亡くなったといわれています。
お墓の近くには、西行法師の歌碑があります。
- 実方の死を偲んだ西行法師の歌
- 実方の墓を訪れた西行法師が詠んだ歌は次のとおりです。
原文
朽ちもせぬ その名ばかりを
『新古今和歌集』西行法師
留め置きて
枯野のすすき
形見にぞ見る現代語訳
不朽の和歌の名声だけを残して骨を埋めたというが、
形見に見られるのは枯野のすすきだけだ。