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Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox
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殷富門院大輔
見せばやな
雄島のあまの
袖だにも
ぬれにぞぬれし
色はかはらず
ぬれにそぬ
れしいろは
かはらす
みせ
- 90番歌
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見せばやな
雄島のあまの
袖だにも
ぬれにぞぬれし 色はかはらず
作者:殷富門院大輔(1130年頃~1200年頃)
出典:千載和歌集 恋
- 現代語訳
- あなたに見せたい。私の血の涙に濡れて色が変わってしまったこの袖を。あの雄島の漁師の袖でさえ、ひどく濡れても色は変わらないのに。
- 解説
- 『千載和歌集』の詞書に「歌合しはべりける時、恋の歌とて詠める」とあり、この歌は題詠です。当時の和歌において、感情が極まった状態を表す慣例的な表現として「血の涙が流れる」というものがありました。この歌では「血の涙」とは直接書かれていません。しかし、詠み込まれた「袖の色」という言葉から、当時の人々は「血の涙で濡れた袖」を暗黙の了解として理解していたと考えられます。
- どんな人?
- 殷富門院大輔は、後白河天皇の皇女で、式子内親王の姉である殷富門院に仕えました。多くの歌を詠んだことから「千首大輔」と呼ばれました。
- 品詞分解と文法
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- 歌のイメージ
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この画像は、William N. Porter氏が1909年にイギリスで出版した百人一首の英訳本『A Hundred Verses from Old Japan』の挿絵を元にAdobe Firefly(生成AI)で色を付けて、アレンジしたイメージです。
- 殷富門院大輔の略年表
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- 1130年頃
- 藤原信成の娘として誕生
- 1160年
- 太皇太后宮大進清輔歌合に出詠
- 1182年
- 『寿永百首』に参加
- 1187年
- 百首歌を催す
- 1192年
- 殷富門院の出家に従って出家
- 1200年頃
- 死去
- 殷富門院大輔の相関図
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殷富門院大輔は、後白河天皇の皇女で、式子内親王の姉である殷富門院亮子に仕えた女房です。
俊恵法師が主催する歌林苑に参加し、藤原定家・寂蓮・西行・源頼政らと交流がありました。また、ライバルと目されていた小侍従と、夜通し連歌に興じたこともあったといいます。
- 付録
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- 血の涙
- 和歌では「紅涙」または「くれなゐの涙」と詠まれます。
- 本歌
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殷富門院大輔の百人一首の歌は、次の源重之の歌を下敷きにして詠まれた本歌取りです。
彼女の歌は、源重之の歌に対する返歌として詠まれたと言われています。原文
松島や 雄島の磯に 漁りせし
海人の袖こそ かくは濡れしか 『後拾遺和歌集』源重之現代語訳
松島の雄島の磯で漁をしている海女の袖だったら、
涙で濡れた私の袖ほどに濡れているでしょうか。 - 袖を濡らす歌
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和歌において、涙で袖を濡らすことは、悲しみや恋の苦しみを表す慣例的な表現です。
次の歌は『源氏物語』第40帖「御法」に登場する歌です。最愛の紫の上を亡くした光源氏に対して、かつての頭中将で、光源氏のライバルであり親友でもあった致仕の大臣が詠んだものです。自身の妹であり、光源氏の最初の妻でもあった葵の上をずっと昔に亡くしたときの悲しみを、紫の上の死に重ねています。原文
いにしへの 秋さへ今の 心地して
濡れにし袖に 露ぞおきそふ 『源氏物語』致仕の大臣現代語訳
かつての秋のこと(葵の上が亡くなった秋のこと)さえ、今のような心地がして、涙に濡れる袖に、さらに露が置き加わったようです。
- 雄島の風景
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写真提供:宮城県観光プロモーション推進室 松島の日の出の写真です。
雄島は日本三景の一つ、松島(宮城県)の群島の一つです。
地図へのリンク - ミセバヤ
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日本古来より万葉の植物として親しまれている多年草。
美しい花を「誰にみせようか」という意味が
名前の由来で「玉の緒」という別名もあります。 - 歌川国芳の『百人一首之内』
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British Museum, Public domain, via Wikimedia Commons 江戸時代の浮世絵師・歌川国芳による浮世絵です。
百人一首の和歌に合わせた情景が描かれています。