時雨の百人一首

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Translated by WILLIAM N. PORTER
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月

後徳大寺左大臣ごとくだいじのさだいじん

ほととぎす
鳴なきつる方かたを
ながむれば
ただ有明ありあけの
月つきぞ残のこれる

後徳大寺左大臣

たたありあ
けのつきそ
のこれる

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ほ

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81番歌
ほととぎす 鳴なきつる方かたを ながむれば
ただ有明ありあけの 月つきぞ残のこれる
作者:後徳大寺ごとくだいじ左大臣さだいじん(1139年~1192年)
出典:千載和歌集 夏
現代語訳
ほととぎすが鳴いた方を眺めてみると、鳥の姿は見えず、ただ有明の月が残っていました。
解説
この歌は「暁にほととぎすを聞く」という題で詠まれました。ほととぎすの第一声は、夏の訪れを告げるものとして平安時代の人々に特別な風流をもたらしました。作者の藤原実定も、その鳴き声を待ち望んでいたのかもしれません。平安貴族たちは、ほととぎすの第一声を聞くために夜を徹して耳を澄ませ、その瞬間を楽しんだとされています。
どんな人?
後徳大寺左大臣(藤原実定)は、『百人一首』の撰者である藤原定家の従兄弟で、優れた和歌の才能に加え、管弦の名手としても名を馳せました。祖父の実能も左大臣を務め「徳大寺左大臣」と呼ばれていたことから、「後徳大寺左大臣」と称されるようになったとされています。
品詞分解と文法
歌のイメージ
後徳大寺左大臣の歌のイメージ

この画像は、William N. Porter氏が1909年にイギリスで出版した百人一首の英訳本『A Hundred Verses from Old Japan』の挿絵を元にAdobe Firefly(生成AI)で色を付けて、アレンジしたイメージです。

後徳大寺左大臣の略年表
1139年
藤原公能の子として誕生
1141年
従五位下に叙される
1177年
大納言に再任される
1183年
内大臣となる
1189年
左大臣となる
1191年
病のため官を辞して出家
1192年
死去
後徳大寺左大臣の系図
  • 百人一首の歌番号(クリックで歌のページへ)
100%
公実 西園寺通季 公通 実宗 公経96 徳大寺実能 公能 実定81
付録
ほととぎすの鳴き声
(音声:NHKクリエイティブ・ライブラリー
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有明の月と月の満ち欠け
月の満ち欠け

「有明の月」とは、夜が明けても空に残っている月のことです。月齢15日前後から29日頃までの月が、明け方の空に見られます。

平安時代には、暦を持てるのは特権階級の人々だけでした。そのため、一般の人々にとっては、満ち欠けを繰り返す月の形が自然のカレンダーのような役割を果たしていたと考えられます。

月の形 月の出 月の入り
新月 6時 18時
上弦の月 12時 24時
望月 18時 6時
下弦の月 24時 12時
ほととぎすの和歌

夏の訪れを告げるほととぎすの第一声は、平安時代の貴族にとって特別に風流なことでした。
ほととぎすを詠んだ夏の和歌を2首ご紹介します。

次の歌は、右大将道綱母の和歌で『道綱母集』に収められています。

原文

都人みやこびと ねてまつらめや ほととぎす
今いまぞ山辺やまべを 鳴なきていづなり 『道綱母集』道綱母

現代語訳

都人は寝ないで待つのでしょうか。
ほととぎすは今、山辺を鳴きながら出ていくところだ。

次の歌は、和泉式部の和歌で『後拾遺和歌集』に収められています。

原文

桜色さくらいろに そめし衣ころもを ぬぎかへて
山やまほととぎす 今日きょうよりぞ待まつ 『後拾遺和歌集』和泉式部

現代語訳

桜色に染めた衣を脱ぎ替えて、
今日からは山のほととぎすを待ちます。

平安時代の終焉を感じさせる歌

平清盛が1180年に福原に遷都した後、京都に戻った藤原実定は、次の今様を詠みました。

原文

ふるき都みやこを 来きて見みれば 浅茅あさぢ が原はらとぞ 荒あれにける
月つきの光ひかりは 隈くまなくて 秋風 あきかぜのみぞ 身みにはしむ 『平家物語』藤原実定

現代語訳

かつての都を訪ねてみると、浅茅が生い茂る原野のように荒れ果てていた。 月の光はどこまでも明るく照らしているが、かえって空しく秋風ばかりが身にしみて感じられる。

内侍岩伝説
宮島に伝わる「内侍岩伝説」という悲しい恋の物語に実定が登場しますのでご紹介します。

実定が大納言だったときのこと、彼は官位に恵まれず、出家を考えていましたが、側近の勧めで平家の信仰が厚い厳島神社に参籠しに来ました。そのとき、実定は、厳島神社の巫女で琵琶の名手である有子を見初め、次の歌を詠みました。

原文

山やまの端はに 契ちぎりて出いでむ 夜半よわの月つき
めぐり逢あうべき 折おりを知しらねど 『内侍岩伝説』藤原実定

現代語訳

山の稜線に夜半になると約束したように月が出る。
あなたにいつ巡り会えるのかはわからないけれど。

実定が都に帰るとき、有子は彼の船を追いかけて海岸にある岩に立って、船が見えなくなるまで見送りました。 その後、有子は実定を慕う気持ちを忘れることができず、都に向かいます。しかし、身分の隔たりが二人を隔て、実定に近づくことすら許されませんでした。失意の中、有子は摂津国の住吉の海に舟を出し、波に漂いながら琵琶を奏でます。しかし、涙が溢れ、琵琶を弾き続けることができなくなり、彼女は悲痛な思いを込めた次の歌を詠み、海へと身を投じたのでした。

原文

はかなしや 浪なみの下したにも いりぬべし
月つきの都みやこの 人ひとや見みるとて 『内侍岩伝説』有子内侍

現代語訳

儚いものですね。波の下に参ります。月を詠んでくれた都にいるあの人が私を見ているかと思って。

月岡芳年の『月百姿』
月岡芳年の『月百姿』
National Diet Library, Public domain, via Wikimedia Commons

この浮世絵は、幕末から明治時代前半にかけて活躍した浮世絵師・月岡芳年が描いた『月百姿』シリーズの作品です。

『内侍岩伝説』の有子の最期の様子が描かれています。

歌川国芳の『百人一首之内』
歌川国芳による浮世絵
Los Angeles County Museum of Art, Public domain, via Wikimedia Commons

江戸時代の浮世絵師・歌川国芳による浮世絵です。
百人一首の和歌に合わせた情景が描かれています。

ほととぎすの鳴き声が聞こえた方向を見ている様子が描かれていると考えられます。