時雨の百人一首

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Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox

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藤原清輔朝臣ふじわらのきよすけあそん

長ながらへえば
またこのごろや
しのばれむん
憂うしと見みし世よぞ
今いまは恋こいしき

藤原清輔朝臣

うしとみし
よそいまは
こひしき

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84番歌
長ながらへえば またこのごろや しのばれむん
憂う しと見みし世よぞ 今いまは恋こい しき
作者:藤原清輔朝臣ふじわらのきよすけあそん(1104年~1177年)
出典:新古今和歌集 雑
現代語訳
長く生きながらえたら、今を懐かしく思うだろう。つらいと思った日々も今では懐かしく思えるのだから。
解説
『清輔集』の詞書に「三条内大臣いまだ中将にておはしける時、遣はしける」と記されています。三条内大臣とは、藤原公教のことだと言われています。一説には、この歌は、長く中将に留まり、不遇だった公教を清輔が励ますために詠んだ歌だと言われています。
どんな人?
藤原清輔は『詞花和歌集』の撰者である左京大夫顕輔の子です。ただし、父親と確執があったため『詞花和歌集』には、清輔の歌が一首も採用されていません。後に清輔は、二条天皇の命を受け『続詞花和歌集』を編纂する名誉を得ますが、奏上直前に二条天皇が崩御したため、残念ながら日の目を見ることはありませんでした。
品詞分解と文法
歌のイメージ
藤原清輔の歌のイメージ

この画像は、William N. Porter氏が1909年にイギリスで出版した百人一首の英訳本『A Hundred Verses from Old Japan』の挿絵を元にAdobe Firefly(生成AI)で色を付けて、アレンジしたイメージです。

藤原清輔の略年表
1104年
藤原顕輔の子として誕生
1124〜1144年
『奥義抄』を著す
1144年
父の『詞花和歌集』撰集を手伝う
1155年
父から人麻呂影供を伝えられ、六条藤家を継ぐ
1160年代
『続詞花和歌集』を撰ぶが、二条天皇の崩御で勅撰集とならず
1177年
死去
藤原清輔の系図
  • 百人一首の歌番号(クリックで歌のページへ)
100%
藤原顕季六条藤家初代 藤原顕輔79六条藤家2代 藤原家保 藤原長実 藤原清輔84六条藤家3代 藤原重家六条藤家4代 顕昭猶子 顕季の娘 藤原公教清輔のいとこ

藤原清輔は、藤原顕季あきすえを祖とする六条藤家ろくじょうとうけと呼ばれる歌道の家系に生まれた3代目です。ちなみに「六条藤家」の名前は、藤原顕季が京都六条烏丸に住んでいたことに由来します。

藤原顕輔あきすけ(左京大夫顕輔)は、藤原清輔の父ですが、父とは折り合いが悪く、顕輔が撰者を担当した『詞花集』の撰集では、補助に当たった清輔の意見はほとんど採用されなかったといいます。このため、親子関係に確執があったとされています。しかし、顕輔が亡くなる年に、清輔は、六条藤家の嫡流の証とされる人麻呂影供で使われる人麻呂の肖像を顕輔から譲られました。

平安末期は、保守的な歌を重んじる六条藤家と革新的な和歌を推進する御子左家みこひだりけが歌壇の主導権を競い合いました。六条藤家は、顕輔・清輔親子の時代に全盛を迎えましたが、その後は次第に衰退しました。一方で、御子左家は、有力な歌人を輩出し続け、歌壇に長く君臨しました。

清輔の百人一首の歌は、清輔の従兄弟である藤原公教に贈られたものです。

付録
袋草紙
『袋草紙』は藤原清輔が著した歌学書です。歌会の作法や歌を作るうえでの心得、有名歌人の逸話などが記されています。
奥義抄
『奥義抄』は藤原清輔が著した3巻からなる歌学書です。和歌の効用や沿革、『万葉集』から『後拾遺和歌集』までの約260首の注釈、「六義りくぎ」と呼ばれる和歌の六種類の表現様式、本歌取、枕詞、歌語などについて記されています。