時雨の百人一首

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Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox

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皇嘉門院別当こうかもんいんのべっとう

難波江なにわえの
葦あしのかりねの
ひとよゆゑえ
みをつくしてや
恋こひいわたるべき

皇嘉門院別当

みをつくし
てやこひわ
たるへき

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なにわえ

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88番歌
難波江なにわえの 葦あしのかりねの ひとよゆゑえ
みをつくしてや 恋こひいわたるべき
作者:皇嘉門院別当こうかもんいんのべっとう(生没年不詳)
出典:千載和歌集 恋
現代語訳
難波の入り江に生えている葦を刈った根の短い一節ではありませんが、一夜の共寝をしたために、私は難波の澪標のように身を尽くし、あの人を恋い慕い続けなくてはいけないのでしょうか。
解説
『千載和歌集』の詞書に「摂政右大臣の時の家歌合に、旅宿に逢ふ恋といへる心をよめる」とあり、この歌は、九条兼実の家で催された歌合で「旅宿に逢ふ恋」という題で詠まれました。当時、難波の入り江は水上交通の要衝として栄え、多くの旅人が行き交うとともに、遊女も多く存在していました。 皇嘉門院別当は、こうした遊女たちの境遇に思いを馳せ、この歌を詠んだと考えられています。
どんな人?
皇嘉門院別当は崇徳院の中宮である皇嘉門院(藤原聖子きよこ)に別当として仕えました。
品詞分解と文法
歌のイメージ
皇嘉門院別当の歌のイメージ

この画像は、William N. Porter氏が1909年にイギリスで出版した百人一首の英訳本『A Hundred Verses from Old Japan』の挿絵を元にAdobe Firefly(生成AI)で色を付けて、アレンジしたイメージです。

皇嘉門院別当の略年表
1175年
右大臣兼実家歌合に出詠
1178年
右大臣家百首に出詠
1182年
皇嘉門院の死去の頃、すでに出家していた
皇嘉門院別当の相関図
  • 茶字天皇
  • 天皇の代数
  • 紫字摂政・関白になった人物
  • 百人一首の歌番号(クリックで歌のページへ)
  • =婚姻
100%
仕える 盛実の娘 忠実 源師子 頼長兄・忠通と対立 藤原宗子 忠通76 加賀局 兵衛佐局 崇徳7775 皇嘉門院 慈円95 九条兼実 藤原兼子 重仁親王 皇嘉門院別当88兼実の歌合に参加 九条良経91

皇嘉門院別当は、藤原忠通の娘である皇嘉門院に仕えていました。

皇嘉門院の異母弟に九条兼実がいた縁から、皇嘉門院別当は、九条兼実の歌会にたびたび参加し、歌人として名を馳せていました。

付録
葦の節とは
葦

水辺に生えるイネ科の植物。別名:ヨシ。茎は細く、竹のように節があります。
4月下旬に芽を出し、6月頃まで急激に成長し、茎は長いもので3mに及びます。
地下茎が横に伸び、群生します。

「節の間」とは、節と節の間のことで、短いものの比喩に使われます。
難波は葦の名所として多くの和歌に詠まれています。

実際の葦を見ると、節と節の間隔は短く感じられませんが、葦が節を継ぎ足すように茎を急速に伸ばしながら成長する様子から「時間の短さ」を表しているという説があります。

澪標(みおつくし)
澪標のイメージ

座礁の危険性がある浅瀬において、比較的水深があって船の往来が可能であることを示す杭。難波は淀川の河口が広がり浅瀬が多く船が難航したため、難波の澪標は有名でした。
「澪標」は澪つ串が由来です。「水脈みお」と同意で海や川の中で、水の流れる筋という意味です。和歌において「身を尽くし」と掛けてよく用いられます。

大阪市の市章
左のシンボルは大阪市の市章です。澪標みおつくしがモチーフになっています。
貴族と遊女のつながり
平安時代中期から鎌倉時代初期にかけて、「今様」と呼ばれる当時の流行歌が貴族の間で人気を博しました。 遊女の中には、今様を歌うことで芸能活動を行い、貴族の館に招かれる者もいました。 後白河天皇は「乙前おとまえ」という遊女から今様を学び、 今様の歌謡集『梁塵りょうじん秘抄ひしょう』を編纂するほど熱心な支持者でした。 皇嘉門院別当が遊女に思いを馳せて歌を詠んだことは意外かもしれませんが、貴族は今様を通じて遊女と交流し、彼女たちを身近に感じていたのです。