なぜ下級貴族は地方官を目指したのか
地方官(国司)と聞くと、都の華やかな暮らしからかけ離れたイメージを持つ方も多いのではないでしょうか。
しかし、当時の給与データを見ると、まったく違う実像が浮かび上がってきます。位階が低い官人ほど、都で働くよりも地方で働いたほうが、実入りがはるかに多かったのです。ここでは、律令官人の位階・官職別の給与比較データをもとに、下級貴族たちが国司という役職に強く惹かれた理由を探ります。
位階別の給与比較
下表は、律令官人の給与を、中央の官僚、大宰府の官僚、それ以外の地方に赴任する地方官―の3つに分けて比較したものです。単位はすべて米の束です。
ボタンを押すと、束のままの数値と、平安貴族の年収換算ページと同じ基準で試算した現代円換算を切り替えて表示できます。
出典:高島正憲(2020)「奈良時代における収入格差について」『経済研究』第71巻第1号、表3。
現代円換算は、平安貴族の年収換算ページと同じ基準(1石=20束、米1kg=400円として1石=約6万円、よって1束=約3,000円)で試算した目安です。実際の購買力そのものではなく、あくまで比較のイメージとしてご覧ください。
正一位~正三位の「中央の官僚」欄には、官職の運営費にあたる職封(個人の可処分所得とは言い切れない部分)が含まれています。束のままの数値は表3の原資料どおりですが、現代円換算では平安貴族の年収換算ページと同じ考え方で職封相当分を差し引き、同ページの年収額と一致するように試算しています。
データからわかること
上位貴族(正一位~従三位) 太政大臣や大臣クラスの最上級貴族が就く位階では、中央の官僚の給与が地方官を圧倒的に上回っています(平均で中央の官僚が地方官の約13倍)。この位階の貴族が実際に地方官として赴任することはほとんどなく、地方官のデータがほぼ存在しないのはそのためです。最上級貴族にとっては、都にとどまり続けることこそが最大の利益でした。
中位貴族(正四位~従五位) 様相が変わり始めます。平均では中央の官僚(10,350束)よりも大宰府の官僚(15,518束)のほうが高く、外交・軍事の要衝である大宰府での勤務は、この位階の貴族にとって十分に魅力的な選択肢でした。一方、大宰府以外の地方官(6,215~6,063束)は中央の官僚よりも低く、赴任先による差も大きかったことがわかります。
六位以下(下級貴族・地下人) この傾向がもっとも顕著になるのが、六位以下の層です。中央の官僚の平均給与はわずか281束であるのに対し、大宰府の官僚は1,166束(中央の官僚の約4.1倍)、大宰府以外の地方官でも524~498束(中央の官僚の約1.9倍)にのぼります。地下人と呼ばれた六位以下の官人にとって、都で下積みを続けるよりも、地方に赴任するほうがはるかに実入りが多かったのです。
このデータが示すのは、下級貴族にとって地方官(国司)は、都での下級官人生活よりもはるかに実入りの良い、魅力的なポストだったという事実です。
のちの時代、地方官(国司)は「受領」と呼ばれ、任国での蓄財に励んだことでよく知られていますが、その背景には、こうした給与構造そのものの違いがあったと考えられます。都での出世が望めない下級貴族にとって、国司はまさに人生を変える大きなチャンスだったのです。
参考文献
高島正憲(2020)「奈良時代における収入格差について」『経済研究』第71巻第1号、P63~P82の中の「表3」を参考にさせていただきました。
高島正憲(2023)『賃金の日本史』を参考にさせていただきました。