時雨の百人一首

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Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox

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凡河内躬恒おおしこうちのみつね

心当こころあてに
折おらばや折おらむん
初霜はつしもの
おきまどはわせる
白菊しらぎくの花はな

凡河内躬恒

おきまとは
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29番歌
心当こころあてに 折おらばや折おらむん 初霜はつしもの
おきまどはわせる 白菊しらぎくの花はな
作者:凡河内躬恒おおしこうちのみつね(859年頃~925年頃)
出典:古今和歌集 秋
現代語訳
心して手折たおろうとして折れるものだろうか。初霜が降りて、見分けにくくなっているほど真っ白で美しい幻想的な白菊の花を。
解説
この歌の解釈は、「心当てに」という言葉の解釈によって歌の意味が変わります。一つは「当てずっぽうに」と捉えると、白菊が初霜に紛れて見分けがつかない様子を詠んだと考えられます。もう一つは「心して」と捉えると、これほど美しい白菊をどうして手折ることができようか、という気持ちが詠まれていると考えられます。
どんな人?
凡河内躬恒は、その官位こそ高くはありませんでしたが、叙景歌における卓越した才能で知られる歌人です。彼は紀貫之と並び称されるほどの当代きっての歌人として評価され、『古今和歌集』の撰者の一人にも選ばれています。
品詞分解と文法
歌のイメージ
凡河内躬恒の歌のイメージ

この画像は、William N. Porter氏が1909年にイギリスで出版した百人一首の英訳本『A Hundred Verses from Old Japan』の挿絵を元にAdobe Firefly(生成AI)で色を付けて、アレンジしたイメージです。

凡河内躬恒の略年表
859年頃
誕生
894年
甲斐権少目となる
905年
紀貫之らと『古今和歌集』の撰者となる
907年
丹波権大目となる
916年
宇多法皇の石山寺御幸に従い歌を詠む
921年
淡路権掾となる
925年頃
死去
備考
凡河内躬恒の系図
  • 茶字天皇
  • 天皇の代数
  • 百人一首の歌番号(クリックで歌のページへ)
100%
古今和歌集の撰者 古今和歌集の編纂を命じる 紀友則33 紀貫之35 壬生忠岑30 凡河内躬恒29 凡河内諶利 凡河内恒寿 凡河内勢恒 醍醐60

凡河内躬恒は、紀友則・紀貫之・壬生忠岑とともに『古今和歌集』の撰者を務めました。

官位は高くなく、甲斐・丹波・和泉・淡路などの地方官を歴任しました。

紀貫之と親しく、藤原兼輔の邸に出入りして、その庇護を受けたといわれています。

付録
重陽の節句
菊は奈良時代に中国から伝来したといわれています。当初は薬用植物として渡来しましたが、後に観賞用として宮中で人気を呼びました。平安時代の宮中では「重陽の節句」と呼ばれる風習が中国から伝わり、菊は和歌によく詠まれました。
古今和歌集の撰者
古今和歌集の撰者 紀友則 凡河内躬恒 紀貫之 壬生忠岑

図の中にある■の番号が付いている人物をクリックすると、その歌人のページに移動します。

『古今和歌集』は醍醐天皇の勅命により編纂された初の勅撰和歌集です。紀貫之、紀友則、壬生忠岑、凡河内躬恒の4名が撰者となり、万葉集に掲載されなかった歌や当時の歌など約1100首を集めて編纂しました。913年頃に完成しましたが、紀友則は完成前に亡くなりました。

幼い子の成長を憂えた歌
次の歌は、躬恒が何かに思い悩んでいたときに幼い子を見て詠んだ一首です。

原文

今いま更さらに なに生おひいづらむ 竹たけの子この
憂うき節ふししげき 世よとは知しらずや 『古今和歌集』凡河内躬恒

現代語訳

今更どうしてこの憂き世に育つのだろう。竹の子のようにすくすくと育つこの子は。辛いことが多い世であることを知らないのだろうか。

梅の香りを詠んだ歌

次の二首はいずれも『古今和歌集』に収められている凡河内躬恒の歌です。
春の夜の梅の香りを詠んでいます。

原文

春はるの夜よの 闇やみはあやなし 梅うめの花はな
色いろこそ見みえね 香かやはかくるる 『古今和歌集』凡河内躬恒

現代語訳

春の夜は筋が通らないことをする。
梅の花は見えないけれども、香りは隠れているだろうか。

原文

月夜つきよには それとも見みえず 梅うめの花はな
香かをたづねてぞ 知しるべかりける 『古今和歌集』凡河内躬恒

現代語訳

月夜には、梅の花がよく見えませんが、
香りをたどれば、咲いている場所がわかるのですよ。

心あてにで始まる『源氏物語』の歌

次の歌は、『源氏物語』第4帖『夕顔』に収められています。
光源氏が病気がちだった乳母のお見舞いに行くとき、その隣の家に咲いている夕顔の花を見つけ、随身に「その花を折ってこい」と命じる場面があります。そのとき、その家から現れた童女がお香を薫きしめた扇を差し出して、はかなげな花なので、この上にのせて差し上げてくださいと言います。その扇に書かれていたのがこの歌です。花を折る場面に、「心あて」という言葉が使われており、紫式部が凡河内躬恒の歌を踏まえていたように感じられます。

原文

心こころあてに それかとぞ見みる 白露しらつゆの
光ひかりそへたる 夕顔ゆうがおの花はな 『源氏物語』夕顔

現代語訳

あて推量ですが、あなたかと思って見ています。
白露が光を添えたような夕顔の花を

白い花が雪に紛れる歌

次の歌は、『古今和歌集』に収められている紀友則の歌です。
この歌では、梅の花が雪に紛れて見分けがつかない様子が詠まれています。凡河内躬恒の歌にも似ていて、白い花が雪と混じり合うという表現は、当時人気のある詠み方だったようです。

原文

雪ゆき降ふれば 木毎きごとに花はなぞ 咲さきにける
いづれを梅うめと わきて折おらまし 『古今和歌集』紀友則

現代語訳

雪が降ると、どの木にも白い花が咲いたように見える。
雪と紛れて見分けがつかないので、どの木を梅の木であると区別して手折るとよいだろうか。

正岡子規の評価
正岡子規は『歌よみに与ふる書』の中で、凡河内躬恒の歌について「この躬恒の歌、百人一首にあれば誰も口ずさみ候へども、一文半文のねうちもこれなき駄歌に御座候。この歌は嘘の趣向なり、初霜が置いた位で白菊が見えなくなる気遣きづかい無之候。」と批判しました。これは、写実的な和歌を追求した正岡子規ならではの評価だと考えられます。しかし、景物を何か別のものに見立てる「見立て」という技法は、『古今和歌集』の時代に発展したものです。
俊恵法師の評価
百人一首の85番歌の歌人・俊恵法師は『無名抄』の中で、「真に躬恒がことよみ口深く思入りたる方は、又類なき者なり」として、対象となる物事に深く思いを至らせて詠む点において、躬恒を比類のない歌人として高く評価しています。歌の表現そのものを評価している正岡子規と比べて、俊恵法師の評価は、歌に向き合う姿勢や思索の深さに主眼が置かれています。