時雨の百人一首

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Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox

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河原左大臣かわらのさだいじん

陸奥みちのくの
しのぶもぢじずり
誰たれゆゑえに
乱みだれそめにし
我われならなくに

河原左大臣

みたれそめ
にしわれな
らなくに

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14番歌
陸奥みちのくの しのぶもぢじずり 誰たれゆゑえに
乱みだれそめにし 我われならなくに
作者:河原左大臣かわらのさだいじん(822年~895年)
出典:古今和歌集 恋
現代語訳
私の心は、陸奥産のしのぶもぢずりの乱れ模様のように乱れてしまった。私のせいではありませんよ。
解説
この歌は、恋人への思いを抑えきれずに、乱れた気持ちを染め物の乱れ模様に例えています。
どんな人?
河原左大臣こと源融みなもとのとおるは、嵯峨天皇の皇子でしたが、母親の身分が低かったため、臣籍降下し、皇族から臣下になりました。陽成院が退位したときは、天皇に自薦しましたが、藤原基経によって阻止されました。この失意から、融は次第に政治から身を引くようになり、京都の六条に河原院という豪華な邸宅を建て、道楽で陸奥の塩竃の風景を模して、毎月三十石の海水をわざわざ運ばせて塩造りをしました。その豪奢な生活ぶりから、紫式部が著した『源氏物語』の主人公「光源氏」のモデルになったといわれています。
品詞分解と文法

左の原文の単語をタップ(クリック)すると、品詞・活用・解説がここに表示されます。

歌のイメージ
河原左大臣の歌のイメージ

この画像は、William N. Porter氏が1909年にイギリスで出版した百人一首の英訳本『A Hundred Verses from Old Japan』の挿絵を元にAdobe Firefly(生成AI)で色を付けて、アレンジしたイメージです。

河原左大臣の略年表
822年
嵯峨天皇の皇子として誕生
838年
元服し、源朝臣の姓を与えられる
864年
中納言となる
872年
左大臣となる
887年
従一位に叙される
895年
死去
源融の系図
  • 茶字天皇
  • 天皇の代数
  • 百人一首の歌番号(クリックで歌のページへ)
  • =婚姻
100%
桓武50 平城51 淳和53 橘嘉智子 嵯峨52 大原全子 阿保親王 沢子 仁明54 順子 源融14 源弘 在原行平16 在原業平17 班子女王 光孝1558 文徳55 明子 源希 宇多59 胤子 清和56 高子 参議等39 醍醐60 陽成1357

源融は嵯峨天皇の第12皇子でしたが、臣籍降下し、「源」の姓を賜りました。歴史物語『大鏡』によると陽成天皇が譲位された際、宮中で次の天皇を誰にするか会議が行われました。そのとき、62歳の左大臣・源融は「いかがは。 近き皇胤こういんをたづねば、 融らもはべるは」と言って自分が継承候補になりうる旨を主張しました。しかし、摂政の藤原基経は、源氏に臣籍降下した者が天皇に即位した例はないとして、源融の主張を退け、光孝天皇を天皇に即位させました。

ところが、時代が下って光孝天皇が崩御した際、光孝天皇の子女はすべて臣籍降下していました。それにもかかわらず、藤原基経は光孝天皇の第7皇子を宇多天皇として即位させました。

付録
もぢずり石
もぢずり石
写真:(公財)福島県観光物産交流協会

「しのぶもぢずり」は、漢字で「信夫文知摺」と書きます。「信夫」は福島県信夫地方のことで、「文知摺」は石に草木をこすりつけて布にその色を移す染色技法のことです。福島県信夫地方では、平安時代から鎌倉時代にかけてこの染色が盛んに行われました。福島市にある曹洞宗寺院・普門院の境内には「もぢずり石」と呼ばれる幅約3m、高さ約2.5mの巨石があります。この「もぢずり石」は実際の染色に使われていたと言い伝えられています。写真は、その「もぢずり石」です。地図へのリンク

ネジバナ(モジズリ)
ネジバナ(モジズリ)

「ネジバナ」はラン科の植物で「モジズリ」という別名を持っています。「モジズリ」の名前はらせん形に花を付ける姿が乱れ模様である信夫文知摺と似ていることが由来といわれています。日本各地で見られ、日当たりのよい平地に自生します。茎は10~40cmほど。地域によりますが、5月~9月に開花します。

伊勢物語に登場する
信夫摺を詠み込んだ歌
『伊勢物語』第一段「初冠」で、信夫摺しのぶずりの狩衣を着た主人公が鷹狩に出掛けました。そこで見かけた姉妹の美しさに心を乱された主人公は、その場で着ていた狩衣の裾を切り取り、次の歌を書いて姉妹に贈りました。この歌は、河原左大臣の歌の心映えによるもの(趣意を踏まえたもの)であったと物語に記されています。

原文

春日野かすがのの 若紫わかむらさきの すりごろも
しのぶの乱みだれ 限かぎり知しられず 『伊勢物語』

現代語訳

春日野の若い紫草で染めたこの信夫摺のように、
私の恋心は限りなく乱れています。

伊勢物語に登場する
河原院の庭を賛美する歌
『伊勢物語』の第八十一段「塩竃」で、源融は、親王たちを招待し、河原院で酒宴を催しました。皆が御殿を賛美する歌を詠みましたが、ある翁は、河原院の塩竈の地を模した庭を賛美する歌を詠みました。

原文

塩竃しおがまに いつかは来きにけむ 朝あさ凪なぎに
釣つりする舟ふねは ここに寄よらなむ 『伊勢物語』

現代語訳

いつの間に塩竃に来たのだろうか。 朝凪の中で釣りをする舟はここに寄って来てほしいものだ。

伊勢物語絵巻
伊勢物語絵巻
東京国立博物館提供 伊勢物語絵巻巻第5 抜粋

伊勢物語絵巻巻第5から抜粋したものです。
塩竈の地を模した河原院の庭が描かれています。

歌川国芳の『百人一首之内』
歌川国芳による河原左大臣の浮世絵
British Museum, Public domain, via Wikimedia Commons

江戸時代の浮世絵師・歌川国芳による浮世絵です。
百人一首の和歌に合わせた情景が描かれています。

貴族と従者が、陸奥の特産品である「信夫しのぶ文知摺もぢずり」のような乱れ模様が描かれた美しい布を広げ、興味深そうに眺めているようです。

地名に残る塩竃を模した河原院
源融が建てた豪奢な屋敷・河原院には陸奥の塩竃の風景を模して庭が造られ、海水を運び込んで塩焼きを楽しんだと伝えられます。河原院は平安時代末期に焼失してしまいましたが、現在でも河原院跡があり、当時を偲ぶことができます。また、河原院跡近くには塩竃町、本塩竃町という町名が残っています。
河原院跡 河原院の庭の中の島「籬の島」に生えていたという榎(えのき) 河原院跡の駒札