時雨の百人一首

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Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox

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恵慶法師えぎょうほうし

八重葎やえむぐら
しげれる宿やどの
さびしきに
人ひとこそ見みえね
秋あきは来きにけり

恵慶法師

ひとこそみ
えねあきは
きにけり

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47番歌
八重葎やえむぐら しげれる宿やどの さびしきに
人ひとこそ見みえね 秋あきは来きにけり
作者:恵慶法師えぎょうほうし(生没年不詳)
出典:拾遺和歌集 秋
現代語訳
幾重にもつる草が生い茂る屋敷で寂しい所に人が訪れてくることはありませんが、秋はたしかにやって来たのですね。
解説
『拾遺和歌集』の詞書に「河原院にて、荒れたる宿に秋来といふ心を人々詠みはべりけるに」と記されています。河原左大臣が建てた河原院は、豪華のかぎりを尽くした邸宅でしたが、没後は荒廃しました。彼の曽孫である安法法師は、河原院に住みますが、手入れはせず、八重葎が生い茂る状態でした。ところが、こうした斜陽の気配が色濃く漂う邸宅にかえって創作意欲が刺激された文人が少なからずいたようで、彼らは河原院に集い、たびたび歌会を催しました。
どんな人?
恵慶法師は、播磨国の国分寺の講師だったといわれています。また、河原院に住んでいた安法法師の友人で、河原院に出入りしていました。
品詞分解と文法
歌のイメージ
恵慶法師の歌のイメージ

この画像は、William N. Porter氏が1909年にイギリスで出版した百人一首の英訳本『A Hundred Verses from Old Japan』の挿絵を元にAdobe Firefly(生成AI)で色を付けて、アレンジしたイメージです。

恵慶法師の略年表
962年頃
歌合などで活躍しはじめる
986年
花山院の熊野行幸に従う
恵慶法師の系図
  • 茶字天皇
  • 天皇の代数
  • 百人一首の歌番号(クリックで歌のページへ)
  • 数代省略・交友
100%
2代略友人 嵯峨52 源弘 仁明54 源融14 源希 光孝1558 参議等39 安法河原院に住んだ 恵慶47

恵慶法師は安法法師の友人でした。安法法師は、河原左大臣こと源融の曽孫で、河原院の一部をお寺にして住んでいました。

安法法師は、河原院で源順・清原元輔・平兼盛など多くの歌人と交流しました。恵慶法師も、大中臣能宣・紀時文・清原元輔らと交流があったといわれています。

付録
紀貫之が河原院を詠んだ歌
河原院は、かつては華やかな時代を築き、栄華を極めた場所として知られていました。しかし、主を失ったその跡は、かつての輝きを失い、斜陽の気配を色濃く漂わせるようになりました。けれども、その衰退の中にある美しさを見出した歌人は、恵慶法師だけではなかったようです。

原文

君きみまさで 煙けぶり絶たえにし 塩竃しおがまの
うらさびしくも 見みえわたるかな 『古今和歌集』紀貫之

現代語訳

ご主人がお亡くなりになって、塩を焼く煙も消えた塩釜の浦は、寂しさが広がる景色となりましたね。

恵慶法師が秋の訪れを詠んだ歌
次の歌は、恵慶法師が秋の野原を詠んだ歌です。『拾遺和歌集』に収められています。

原文

浅茅原あさじはら 玉たままく葛くずの 裏風うらかぜの
うらがなしかる 秋あきは来きにけり 『拾遺和歌集』恵慶法師

現代語訳

丈の低い茅の野原の葛の葉を玉巻く状態にさせる裏風ではないけれど、うら悲しい秋は来たのだった。

恵慶法師が冬の夜空を詠んだ歌
次の歌は、恵慶法師が冬の夜空を詠んだ歌です。『拾遺和歌集』に収められています。

原文

天あまの原はら 空そらさへ冴さえや 渡わたるらむ
氷こおりと見みゆる 冬ふゆの夜よの月つき 『拾遺和歌集』恵慶法師

現代語訳

天空も冴え渡るように冷え切っているのだろうか。
氷のように見える冬の夜の月よ。

河原院
河原院は平安時代末期に焼失してしまいましたが、現在でも河原院跡があり、当時を偲ぶことができます。
河原院跡河原院跡河原院跡の駒札