百人一首の歌人名の由来
百人一首の歌人の名前には、官職や位階が組み込まれているものが多く見られます。
平安時代の貴族社会では、役職や位階で人物を呼ぶことが一般的だったためです。
ここでは、そうした呼び名を持つ歌人を紹介します。
官職名に由来する歌人名
中納言家持(6番)
中納言家持(大伴家持)は、太政官の「中納言」を務めたことに由来します。
参議篁(11番)
参議篁(小野篁)は、太政官の「参議」を務めたことに由来します。
河原左大臣(14番)
河原左大臣(源融)は、太政官の「左大臣」を務めたことに由来します。
中納言行平(16番)
中納言行平(在原行平)は、太政官の「中納言」を務めたことに由来します。
三条右大臣(25番)
三条右大臣(藤原定方)は、太政官の「右大臣」を務めたことに由来します。
中納言兼輔(27番)
中納言兼輔(藤原兼輔)は、太政官の「中納言」を務めたことに由来します。
参議等(39番)
参議等(源等)は、太政官の「参議」を務めたことに由来します。
権中納言敦忠(43番)
権中納言敦忠(藤原敦忠)は、中納言の補佐的な官職である「権中納言」を務めたことに由来します。
中納言朝忠(44番)
中納言朝忠(藤原朝忠)は、太政官の「中納言」を務めたことに由来します。
小式部内侍(60番)
小式部内侍は、内侍司 という役所に仕えていました。なお「小式部」は、母・和泉式部の名にちなみ、娘であることを示す呼び名です。
左京大夫道雅(63番)
左京大夫道雅(藤原道雅)は、左京職の長官「左京大夫」を務めたことに由来します。
周防内侍(67番)
周防内侍は、内侍司 という役所に仕えていました。なお「周防」は、父・平棟仲が周防守(現在の山口県知事に相当)を務めたことに由来します。
権中納言匡房(73番)
権中納言匡房(大江匡房)は、太政官の「権中納言」を務めたことに由来します。
法性寺入道前関白太政大臣(76番)
藤原忠通は、関白・太政大臣を歴任した後、法性寺で出家したことから、この名で呼ばれます。権力の頂点を極めた後の出家という、異色の経歴です。
左京大夫顕輔(79番)
左京大夫顕輔(藤原顕輔)は、左京職の長官「左京大夫」を務めたことに由来します。
後徳大寺左大臣(81番)
後徳大寺左大臣(藤原実定)は、太政官の「左大臣」を務めたことに由来します。
皇太后宮大夫俊成(83番)
皇太后宮大夫俊成(藤原俊成)は、皇太后宮職の長官「大夫」を務めたことに由来します。
後京極摂政前太政大臣(91番)
後京極摂政前太政大臣(九条良経)は、摂政・太政大臣を務めた九条良経が、後京極邸に住んでいたことからこの名で呼ばれます。
鎌倉右大臣(93番)
鎌倉右大臣(源実朝)は、源頼朝の二男で征夷大将軍です。朝廷からも重用され、武士として初めて公卿の高位である「右大臣」に任じられました。
参議雅経(94番)
参議雅経(藤原雅経)は、太政官の「参議」を務めたことに由来します。
前大僧正慈円(95番)
前大僧正慈円は、僧侶の最高位の一つである「大僧正」を務めたことに由来します。「前」はその役職を退いた後であることを示しています。
権中納言定家(97番)
権中納言定家(藤原定家)は、中納言の補佐的な官職である「権中納言」を務めたことに由来します。百人一首の選者としても知られています。
家族の官職に由来する女性歌人
右大将道綱母(53番)
息子の藤原道綱が右近衛大将(右大将)となったことから、「右大将道綱母」と呼ばれました。
儀同三司母(54番)
儀同三司母(高階貴子)は、息子の藤原伊周が内大臣となり、中国風の官名「儀同三司」を名乗ったことに由来します。
和泉式部(56番)
和泉式部の「和泉」は夫・橘道貞が和泉国の国司だったことから、「式部」は父が式部丞だったことに由来すると言われています。
紫式部(57番)
紫式部の「紫」は『源氏物語』の登場人物「紫の上」に由来するといわれており、「式部」は父・藤原為時が式部省の文官だったことに由来すると言われています。
大弐三位(58番)
夫・高階成章が大宰府の次官「大宰大弐」を務め、後冷泉天皇の乳母を務めたことなどから自身が従三位であったことに由来します。
周防内侍(67番)
周防内侍は、内侍司 という役所に仕えていました。なお「周防」は、父・平棟仲が周防守(現在の山口県知事に相当)を務めていたことに由来します。
位階で呼ばれた歌人
大弐三位(58番)
夫・高階成章が大宰府の次官「大宰大弐」を務め、自身が従三位であったことに由来します。中流階級の女性でしたが、母譲りの知性を持ち、後冷泉天皇の乳母を務めるきっかけをつかみ、女房歌人として異例の大出世を遂げました。
従二位家隆(98番)
従二位家隆(藤原家隆)は、従二位の位階を有した歌人です。家隆の位階は、百人秀歌では正三位、百人一首では従二位となっており、この位階の違いにより、百人秀歌の方が百人一首より先に編まれたと考えられる理由になっています。
「朝臣」姓と「位階」という序列
百人一首の歌人たちに「朝臣(あそん)」という姓を持つ人物が多いことに気づいた方もいらっしゃると思います。 古代の八色の姓は平安時代になると実質的に上位のいくつかに集約され、「朝臣」は由緒正しい家格を表す称号として定着しました。 この「姓」を土台として、個人の実績や君主の信頼によって積み上げられたものが「位階」という序列です。 家柄が出発点となり、そこに本人の能力が加味されて官途が定まる——それが平安貴族の世界のルールでした。
「位階」についてはこちらをご参照ください。
「八色の姓」についてはこちらをご参照ください。
「前」の付く呼び名の歌人
平安時代、官職を退いた人物に対し、かつての地位を冠して「前 〇〇」と呼ぶ習慣がありました。これは単なる元職の表示ではなく、その地位にあった経歴を尊重する敬称としての意味合いを持っています。
前大僧正行尊(66番)
修験道の修行や諸国行脚の旅の中で多くの和歌を詠みました。厳しい修行と歌道を両立させた僧侶歌人です。
法性寺入道前関白太政大臣(76番)
藤原忠通は、関白・太政大臣を歴任した後、法性寺で出家したことから、この名で呼ばれます。権力の頂点を極めた後の出家という、異色の経歴です。
後京極摂政前太政大臣(91番)
後京極摂政前太政大臣(九条良経)は、摂政・太政大臣を務めた九条良経が、後京極邸に住んでいたことに由来する呼び名です。
前大僧正慈円(95番)
比叡山延暦寺の天台座主を四度務めました。歴史書『愚管抄』の著者としても知られます。
出家した歌人たち—僧侶と官職
百人一首には、俗世を離れた僧侶の歌人も名を連ねています。
ここでは僧侶の位や称号を名前に持つ歌人をご紹介します。
僧正遍昭(12番)
僧正遍昭は、桓武天皇の孫でしたが、仁明天皇の崩御後、出家しました。
前大僧正行尊(66番)
修験道の修行や諸国行脚の旅の中で多くの和歌を詠みました。厳しい修行と歌道を両立させた僧侶歌人です。
法性寺入道前関白太政大臣(76番)
藤原忠通は、関白・太政大臣を歴任した後、法性寺で出家したことから、この名で呼ばれます。権力の頂点を極めた後の出家という、異色の経歴です。
前大僧正慈円(95番)
比叡山延暦寺の天台座主を四度務めました。歴史書『愚管抄』の著者としても知られます。
入道前太政大臣(96番)
入道前太政大臣(藤原公経)は、承久の乱で幕府側に立った人物で、後の政治の実権を握りました。