時雨の百人一首

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百人一首 人物図鑑

百人一首の歌人100人を五十音順、時代別、テーマ別、出典の勅撰和歌集、身分・職業などで並び替えたり、絞り込みできます。
画像は、William N. Porter氏が1909年にイギリスで出版した『A Hundred Verses from Old Japan』で使用された挿絵をベースにAdobe Fireflyで着彩、アレンジしたイメージです。各カードには、その歌人の和歌と現代語訳も表示されています。
カードに記載している推定年収は、歌人が生涯で到達した最も高い位階をもとに算出した目安です。詳しくは平安貴族の年収換算をご覧ください。

1
天智天皇
天智天皇てんじてんのう
職業:天皇
飛鳥・奈良
626年~672年
中大兄皇子として中臣鎌足とともに蘇我氏を倒し(乙巳の変)、大化の改新を進めた。白村江の戦いでの敗北後は近江大津宮へ遷都し、668年に即位。庚午年籍の作成や近江令の施行で、律令国家の基礎を築いた。

秋(後撰集)

秋あきの田たの
かりほの庵いおの
苫とまをあらみ
我わが衣手ころもでは
露つゆにぬれつつ
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2
持統天皇
持統天皇じとうてんのう
職業:天皇
飛鳥・奈良
645年~703年
天智天皇の皇女で、本名は鸕野讃良。13歳で大海人皇子(天武天皇)に嫁ぎ、壬申の乱で夫とともに勝利した。夫の崩御後、息子の草壁皇子が夭折したため690年に即位。飛鳥浄御原令の施行や藤原京への遷都を進めた。

夏(新古今集)

春はる過すぎて
夏なつ来きにけらし
白妙しろたえの
衣ころもほすてふちょう
天あまの香具山かぐやま
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3
柿本人麻呂
柿本人麻呂かきのもとひとまろ
職業:官人
飛鳥・奈良
生年不詳~708年頃
朝廷に仕え、天皇の賛歌や皇子の挽歌を詠んだ。抒情詩に優れ、山部赤人とともに「歌聖」と称され、和歌の神様として尊ばれた。生没年など経歴に不明点が多く、石見国で708年頃に没したとされるが、死因は行き倒れ説と刑死説があり定かでない。

恋(拾遺集)

あしびきの
山鳥やまどりの尾おの
しだり尾おの
ながながし夜よを
ひとりかも寝ねむん
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4
山部赤人
山部赤人やまべのあかひと
職業:官人
飛鳥・奈良
生没年不詳
奈良時代の万葉歌人で、聖武天皇に仕えた。下級官人ながら自然を詠む才に恵まれ、行幸に随行して各地の風景を詠んだ歌を多く残した。柿本人麻呂と並ぶ「歌聖」と称され、三十六歌仙の一人に数えられる。作歌年の分かる歌は724〜736年。

冬(新古今集)

田子たごの浦うらに
うちいでてみれば
白妙しろたえの
富士ふじの高嶺たかねに
雪ゆきは降ふりつつ
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5
猿丸太夫
猿丸太夫さるまるだゆう
職業:伝説
飛鳥・奈良
生没年不詳
生没年や生涯が一切記録されず、具体的な来歴や業績もわからないため、伝説上の歌人と言われる。奈良後期か平安初期の人物とされ、『古今和歌集』真名序に名前が記され、三十六歌仙の一人にも数えられている。

秋(古今集)

奥山おくやまに
紅葉もみじ踏ふみ分わけ
鳴なく鹿しかの
声こえ聞きく時ときぞ
秋あきはかなしき
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6
中納言家持
中納言家持ちゅうなごんやかもち
職業:公卿、位階:従三位
飛鳥・奈良
718年頃~785年
大伴旅人の子で、万葉集の編纂者とされる奈良時代の歌人。783年に中納言となったが、785年の死後、藤原種継暗殺事件に連座して除名され、遺骨は隠岐へ流された。806年に恩赦を受け、官位が回復した。

冬(新古今集)

かささぎの
渡わたせる橋はしに
おく霜しもの
白しろきをみれば
夜よぞふけにける
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7
安倍仲麻呂
安倍仲麻呂あべのなかまろ
職業:その他
飛鳥・奈良
698年~770年
阿倍船守の長男で、10代後半で遣唐使とともに唐に渡った。科挙に合格して玄宗皇帝に仕え、王維や李白とも親交を深めた。才能を惜しまれて帰国を許されず、753年の帰国船は遭難してベトナムに漂着。770年に唐で没した。

旅(古今集)

天あまの原はら
ふりさけみれば
春日かすがなる
三笠みかさの山やまに
出いでし月つきかも
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8
喜撰法師
喜撰法師きせんほうし
職業:僧侶
平安前期
生没年不詳
六歌仙の一人だが、生涯や出自はほとんど記録がなく、実在の人物というより文学的象徴として語り継がれてきた可能性がある。後世に伝わる歌は2首のみで、確実に本人の作とされるのは『古今和歌集』の1首だけである。

その他(古今集)

わが庵いおは
都みやこの辰巳たつみ
しかぞすむ
世よをうぢじ山やまと
人ひとはいふうなり
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9
小野小町
小野小町おののこまち
職業:女房
平安前期
生没年不詳
平安前期の歌人で、出羽の郡司・小野良真の娘と伝えられるが、生誕や生涯は謎に包まれている。仁明天皇や文徳天皇の後宮に仕え、宮廷で和歌の才を発揮したとされる。六歌仙・三十六歌仙の一人で、絶世の美女として多くの伝説が語られた。

春(古今集)

花はなの色いろは
うつりにけりな
いたづずらに
わが身みよにふる
ながめせしまに
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10
蝉丸
蝉丸せみまる
職業:伝説
平安前期
生没年不詳
醍醐天皇の第四皇子と伝えられるが、盲目のため逢坂山に置き去りにされたとされる。その後は琵琶法師として生計を立て、琵琶に合わせて歌う声が蝉の鳴き声を思わせたことが名の由来という説がある。逢坂山の麓で没したとする伝承がある。

その他(後撰集)

これやこの
行ゆくも帰かえるも
わかれては
しるもしらぬも
逢坂おうさかの関せき
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11
参議篁
参議篁さんぎたかむら
職業:公卿、位階:正三位
平安前期
802年~853年
本名は小野篁で、小野小町の祖父。834年に遣唐副使となったが、漏水した船との交換命令を拒んで乗船せず、漢詩『西道謡』で遣唐使を批判して隠岐へ流罪となった。840年に許されて帰京し、847年に参議となった。

旅(古今集)

わたの原はら
八十島やそしまかけて
漕こぎ出いでぬと
人ひとにはつげよ
あまのつり舟ぶね
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12
僧正遍昭
僧正遍昭そうじょうへんじょう
職業:僧侶
平安前期
816年~890年
俗名は良岑宗貞。桓武天皇の孫で、816年に生まれ、仁明天皇に蔵人頭として仕えた。850年の天皇の崩御を機に世の無常を感じて出家し、885年に僧正となった。890年に没した。六歌仙・三十六歌仙の一人。

その他(古今集)

天あまつ風かぜ
雲くものかよひい路じ
吹ふきとぢじよ
をとめの姿すがた
しばしとどめむん
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13
陽成院
陽成院ようぜいいん
職業:天皇
平安前期
869年~949年
清和天皇の皇子で、9歳で即位したが、精神の病が原因で17歳で譲位したとされる(藤原基経の画策とする説もある)。以後は60年以上上皇の地位にあり、上皇として歴代最長の期間を記録。949年に崩御した。

恋(後撰集)

筑波嶺つくばねの
峰みねより落おつる
みなの川がわ
こひぞつもりて
淵ふちとなりぬる
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14
河原左大臣
河原左大臣かわらのさだいじん
職業:公卿、位階:正二位
平安前期
822年~895年
本名は源融。嵯峨天皇の皇子だが、母の身分が低く臣籍降下した。872年に左大臣となり、陽成院の退位時に自ら即位を望んだが藤原基経に阻まれた。京の六条に豪華な河原院を築き、光源氏のモデルともいわれる。

恋(古今集)

陸奥みちのくの
しのぶもぢじずり
誰たれゆゑえに
乱みだれそめにし
我われならなくに
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15
光孝天皇
光孝天皇こうこうてんのう
職業:天皇
平安前期
830年~887年
仁明天皇の皇子で、陽成院が退位した後、藤原基経の推挙により884年に55歳で即位した。在位は3年で、政治の実権は主に基経が握った。『日本三代実録』に謙虚で温和、情け深いと評された人柄は歌にも表れている。

春(古今集)

君きみがため
春はるの野のに出いでて
若菜わかなつむ
わが衣手ころもでに
雪ゆきは降ふりつつ
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16
中納言行平
中納言行平ちゅうなごんゆきひら
職業:公卿、位階:正三位
平安前期
818年~893年
在原行平。平城天皇の皇子・阿保親王の第二子で、在原業平の異母兄。播磨守や蔵人頭などを経て、882年に中納言となった。881年に在原氏の学問所・奨学院を創設し、教育にも熱心だった。893年に没した。

別れ(古今集)

立たち別わかれ
いなばの山やまの
峰みねに生おふうる
まつとし聞きかば
今いま帰かえりこむん
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17
在原業平朝臣
在原業平朝臣ありわらのなりひらあそん
職業:貴族、位階:従四位上
平安前期
825年~880年
在原業平。平城天皇の皇子・阿保親王の子で、臣籍降下した。自由奔放で和歌に優れ、『伊勢物語』の主人公とされる。右近衛権中将、蔵人頭を歴任し、880年に没した。六歌仙・三十六歌仙の一人。

秋(古今集)

ちはやぶる
神代かみよもきかず
竜田川たつたがわ
から紅くれないに
水みずくくるとは
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18
藤原敏行朝臣
藤原敏行朝臣ふじわらのとしゆきあそん
職業:貴族、位階:従四位上
平安前期
生年不詳~901年
藤原敏行。優れた能書家で、頼まれて多くの法華経を書写した。不浄の身のまま書写して地獄に落ちたという逸話が『宇治拾遺物語』にある。897年に従四位上・右兵衛督となり、901年に没した。三十六歌仙の一人。

恋(古今集)

住すみの江えの
岸きしによる波なみ
よるさへえや
夢ゆめのかよひ路じ
人目ひとめよくらむん
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19
伊勢
伊勢いせ
職業:女房
平安前期
872年頃~938年頃
古今集時代を代表する歌人で、藤原継蔭の娘。宇多天皇の中宮温子に女房として仕え、天皇との間に皇子をもうけて「伊勢の御息所」と呼ばれた。敦慶親王との間に、同じく歌人となる娘の中務を産んだ。938年頃に没した。

恋(新古今集)

難波潟なにわがた
みじかき葦あしの
ふしのまも
逢あはわでこの世よを
過すぐしてよとや
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20
元良親王
元良親王もとよししんのう
職業:皇族、位階:三品
平安前期
890年~943年
陽成院の第一皇子で、譲位後の890年に誕生。当代随一の色好みで、毎晩のように女性を替えたことから「一夜めぐりの君」と呼ばれた。40歳の祝いには紀貫之が屏風歌を詠み、943年に没した。勅撰集に20首入集。

恋(後撰集)

わびぬれば
いまはたおなじ
難波なにわなる
みをつくしても
逢あはわむんとぞ思おもふう
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21
素性法師
素性法師そせいほうし
職業:僧侶
平安前期
生没年不詳
桓武天皇の曽孫で、僧正遍昭の息子。左近将監まで昇ったのち若くして出家し、雲林院に住んだ後、大和国石上の良因院に移った。出家後も宮廷の歌会で活躍し、896年に権律師となった。生没年不詳で、三十六歌仙の一人。

恋(古今集)

今いまこむんと
いひいしばかりに
長月ながつきの
有明ありあけの月つきを
待まち出いでつるかな
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22
文屋康秀
文屋康秀ふんやのやすひで
職業:貴族
平安前期
生年不詳~885年頃
文屋朝康の父で、平安時代を代表する歌人。六歌仙の一人。三河掾として赴任する際、同じ六歌仙の小野小町を誘ったと伝わり、二人の文学的交流で知られる。860年に刑部中判事となり、885年頃に没した。

秋(古今集)

吹ふくからに
秋あきの草木くさきの
しをるれば
むべ山風やまかぜを
嵐あらしといふうらむん
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23
大江千里
大江千里おおえのちさと
職業:貴族、位階:従五位下
平安前期
850年頃~905年頃
参議・大江音人の子で、学者の家系に生まれ、漢籍に詳しく和歌にも秀でた。897年に漢詩句を題材にした『句題和歌』を宇多天皇に献上し、漢詩から和歌へ移る時代を象徴する人物。官位は兵部大丞で、微官に終わった。

秋(古今集)

月つきみれば
ちぢにものこそ
悲かなしけれ
わが身み一ひとつの
秋あきにはあらねど
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24
菅家
菅家かんけ
職業:公卿、位階:従二位
平安前期
845年~903年
菅原道真。幼少から和歌や漢詩に才能を発揮し、学者出身ながら異例の出世で899年に右大臣となった。藤原時平の讒言により901年に大宰府へ左遷され、903年に没した。993年には正一位・太政大臣を追贈された。

旅(古今集)

このたびは
幣ぬさもとりあへえず
手向山たむけやま
もみぢのにしき
神かみのまにまに
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25
三条右大臣
三条右大臣さんじょうのうだいじん
職業:公卿、位階:従二位
平安前期
873年~932年
本名は藤原定方。藤原高藤の子で、中納言朝忠の父。三条に邸宅があり右大臣となったことから三条右大臣と呼ばれた。天皇の外戚で、924年に右大臣に昇進。紀貫之や凡河内躬恒の才能を認めて支援した。932年に没した。

恋(後撰集)

名なにし負おはば
逢坂山おうさかやまの
さねかづずら
人ひとにしられで
くるよしもがな
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26
貞信公
貞信公ていしんこう
職業:公卿、位階:正一位
平安前期
880年~949年
本名は藤原忠平。藤原基経の末子で、謙徳公の祖父。温厚な人柄で、兄・時平に流された菅原道真とも親交が続いた。930年に摂政、941年に関白となり、藤原氏の栄華を築く一翼を担った。949年に没し、貞信公と諡された。

秋(拾遺集)

小倉山おぐらやま
峰みねのもみぢじ葉は
心こころあらば
今いまひとたびの
みゆき待またなむん
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27
中納言兼輔
中納言兼輔ちゅうなごんかねすけ
職業:公卿、位階:従三位
平安前期
877年~933年
本名は藤原兼輔。紫式部の曾祖父で、紀貫之や凡河内躬恒の才能を認めて支援した。賀茂川堤の近くに邸宅を構えたことから「堤中納言」と呼ばれ、930年に中納言となった。877年に生まれ、933年に没した。三十六歌仙の一人。

恋(新古今集)

みかの原はら
わきて流ながるる
いづずみ川がわ
いつ見みきとてか
恋こいしかるらむん
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28
源宗于朝臣
源宗于朝臣みなもとのむねゆきあそん
職業:貴族、位階:正四位下
平安前期
生年不詳~940年
源宗于。光孝天皇の孫という高貴な身分で、894年に源朝臣の姓を与えられ臣籍降下した。宇多天皇に和歌を献上して才能を認められたが、官位には恵まれず、939年に正四位下に叙され、940年に没した。三十六歌仙の一人。

冬(古今集)

山里やまざとは
冬ふゆぞさびしさ
まさりける
人目ひとめも草くさも
かれぬと思おもへえば
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29
凡河内躬恒
凡河内躬恒おおしこうちのみつね
職業:官人
平安前期
859年頃~925年頃
官位は高くなかったが、叙景歌に卓越した才能を発揮し、紀貫之と並び称される当代きっての歌人。905年に貫之らとともに『古今和歌集』の撰者となり、916年には宇多法皇の石山寺御幸に従って歌を詠んだ。三十六歌仙の一人。

秋(古今集)

心当こころあてに
折おらばや折おらむん
初霜はつしもの
おきまどはわせる
白菊しらぎくの花はな
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30
壬生忠岑
壬生忠岑みぶのただみね
職業:貴族、位階:正六位上
平安前期
860年頃~920年頃
壬生忠見の父。警護などを担当する下級武官だったが歌の才能に恵まれ、宮中の歌会によく参加した。905年に紀貫之らとともに『古今和歌集』の撰者に抜擢された和歌の名手で、920年頃に没した。三十六歌仙の一人。

恋(古今集)

有明ありあけの
つれなく見みえし
別わかれより
あかつきばかり
憂うきものはなし
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31
坂上是則
坂上是則さかのうえのこれのり
職業:貴族、位階:従五位下
平安前期
生年不詳~930年
征夷大将軍・坂上田村麻呂の子孫。大和権少掾として奈良に赴任した経験があり、吉野にも馴染みがあったと考えられる。蹴鞠の名人でもあり、905年に宮中で206回続けて蹴り、絹を賜った。930年に没した。三十六歌仙の一人。

冬(古今集)

朝あさぼらけ
有明ありあけの月つきと
見みるまでに
吉野よしのの里さとに
降ふれる白雪しらゆき
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32
春道列樹
春道列樹はるみちのつらき
職業:官人
平安前期
生年不詳~920年
古代の有力氏族・物部氏の末裔。910年に文章生となり、壱岐守に任ぜられたが、赴任前の920年に没した。家集もなく歌人として知られないが、藤原定家はこの歌を本歌取りするほど気に入っていたと考えられる。

秋(古今集)

山川やまがわに
風かぜのかけたる
しがらみは
流ながれもあへえぬ
紅葉もみじなりけり
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33
紀友則
紀友則きのとものり
職業:官人
平安前期
845年頃~907年
『土佐日記』や『古今和歌集』仮名序で知られる紀貫之の従兄弟。905年に『古今集』の撰者の一人となったが、完成前の907年に亡くなった。歌の才能は高く評価され、多くが勅撰和歌集に収録され、三十六歌仙にも選ばれた。

春(古今集)

久方ひさかたの
光ひかりのどけき
春はるの日ひに
しづ心こころなく
花はなの散ちるらむん
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34
藤原興風
藤原興風ふじわらのおきかぜ
職業:官人
平安前期
生没年不詳
身分は高くなかったが歌人として高く評価され、家集『興風集』を残した。琴の名手で、管弦にも秀でたという。『古今集』以降の勅撰集に38首入集し、三十六歌仙の一人。900年に相模掾となり、914年に下総大掾となった。

その他(古今集)

誰たれをかも
知しる人ひとにせむん
高砂たかさごの
松まつも昔むかしの
友ともならなくに
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35
紀貫之
紀貫之きのつらゆき
職業:貴族、位階:従五位上
平安前期
868年頃~945年
『古今和歌集』の仮名序を著し、905年に醍醐天皇の命で同集を撰進した。930年に土佐守となり、935年頃に帰京する際の紀行文『土佐日記』を女性の立場で平仮名で書き、後世の女性作家に大きな影響を与えた。945年頃に没した。

春(古今集)

人ひとはいさ
心こころも知しらず
ふるさとは
花はなぞ昔むかしの
香かに匂におひいける
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36
清原深養父
清原深養父きよはらのふかやぶ
職業:貴族、位階:従五位下
平安前期
生没年不詳
天武天皇の末裔で、清少納言の曽祖父。生涯官位に恵まれず、930年に従五位下に叙された。藤原兼輔、紀貫之、凡河内躬恒と交流し、琴の名手でもあった。晩年は岩倉の補陀落寺を建立して隠棲したという。

夏(古今集)

夏なつの夜よは
まだ宵よいながら
あけぬるを
雲くものいづこに
月つきやどるらむん
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37
文屋朝康
文屋朝康ふんやのあさやす
職業:官人、位階:従六位下
平安前期
生没年不詳
文屋康秀の息子。生涯官位に恵まれなかったが、歌人として名を知られた。892年に駿河掾、902年に大舎人大允となった。『寛平御時后宮歌合』『是貞親王家歌合』に出詠し、勅撰集に3首入集した。

秋(後撰集)

白露しらつゆに
風かぜの吹ふきしく
秋あきの野のは
つらぬきとめぬ
玉たまぞ散ちりける
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38
右近
右近うこん
職業:女房
平安前期
生没年不詳
醍醐天皇の中宮・穏子に仕えた女房。名は父が右近衛少将だったことに由来する。『大和物語』には様々な男性と恋に落ちる様子が描かれ、恋多き女性だったことがわかる。960年の天徳内裏歌合などに出詠した。

恋(拾遺集)

忘わすらるる
身みをば思おもはず
誓ちかひてし
人ひとの命いのちの
惜おしくもあるかな
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39
参議等
参議等さんぎひとし
職業:公卿、位階:正四位下
平安前期
880年~951年
本名は源等。嵯峨天皇の曽孫で、臣籍降下して源の姓を名乗った。三河守や丹波守など地方官を歴任し、947年に参議となって公卿入りした。951年に正四位下に叙され、のちに没した。『後撰集』に4首入集するのみ。

恋(後撰集)

浅茅生あさじうの
小野おのの篠原しのはら
しのぶれど
あまりてなどか
人ひとの恋こいしき
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40
平兼盛
平兼盛たいらのかねもり
職業:貴族、位階:従五位上
平安前期
生年不詳~991年
光孝天皇の玄孫で、950年に平朝臣の姓を与えられ臣籍降下した。清盛の伊勢平氏とは別系統。960年の天徳内裏歌合で壬生忠見と競い、979年に駿河守となった。赤染衛門の父とする説があり、991年に没した。三十六歌仙の一人。

恋(拾遺集)

忍しのぶれど
色いろに出いでにけり
我わが恋こいは
物ものや思おもふと
人ひとの問とふうまで
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41
壬生忠見
壬生忠見みぶのただみ
職業:官人
平安前期
生没年不詳
壬生忠岑の息子。村上天皇に仕えた下級官人で、父譲りの歌の才能で幼少から秀で、内裏に召されて御厨子所で働いた。958年に摂津大目となり、960年の天徳内裏歌合で平兼盛と競った。勅撰集に36首入集。三十六歌仙の一人。

恋(拾遺集)

恋こいすてふちょう
我わが名なはまだき
立たちにけり
人ひとしれずこそ
思おもひいそめしか
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42
清原元輔
清原元輔きよはらのもとすけ
職業:貴族、位階:従五位上
平安前期
908年~990年
清原深養父の孫で、清少納言の父。951年に梨壺の五人の一人として『後撰和歌集』の撰集にあたった。986年に肥後守となり、990年に肥後で没した。清少納言は父の名を汚したくないと歌を詠まなかったという。

恋(後拾遺集)

契ちぎりきな
かたみに袖そでを
しぼりつつ
末すえの松山まつやま
波なみこさじとは
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43
中納言敦忠
中納言敦忠ちゅうなごんあつただ
職業:公卿、位階:従三位
平安前期
906年~943年
本名は藤原敦忠。左大臣・藤原時平の三男で、和歌や琵琶の才能に恵まれた。942年に権中納言となったが、943年に38歳で病没。父が菅原道真を失脚させたため、道真の怨霊の祟りという噂が広まった。三十六歌仙の一人。

恋(拾遺集)

逢あひい見みての
のちの心こころに
くらぶれば
昔むかしは物ものを
思おもはわざりけり
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44
中納言朝忠
中納言朝忠ちゅうなごんあさただ
職業:公卿、位階:従三位
平安前期
910年~967年
本名は藤原朝忠。三条右大臣定方の五男で、和歌のほか笙の名手としても知られた。952年に参議、963年に中納言となり、従三位に昇った。孫娘は道長の妻・倫子。967年に没した。三十六歌仙の一人。

恋(拾遺集)

逢あふうことの
絶たえてしなくは
なかなかに
人ひとをも身みをも
恨うらみざらまし
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45
謙徳公
謙徳公けんとくこう
職業:公卿、位階:正二位
平安前期
924年~972年
藤原伊尹の諡号。貞信公の孫で、右大臣・師輔の子。父の遺訓に反して贅沢三昧に暮らした。951年に和歌所別当となって梨壺の五人を率い、970年に摂政、971年に太政大臣となり、翌年49歳で没した。藤原義孝の父。

恋(拾遺集)

あはわれとも
いふうべき人は
思おもほおえで
身みのいたづずらに
なりぬべきかな
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46
曾禰好忠
曾禰好忠そねのよしただ
職業:官人
平安中期
生没年不詳
万葉集の古語を取り入れ、百首歌を始めた先駆者。斬新な作風は貴族に理解されず異端視された。985年には招かれずに円融上皇の子の日の御遊に参加して追い出された。のちに高く評価され、『詞花和歌集』に最多入集。

恋(新古今集)

由良ゆらのとを
渡わたる舟人ふなびと
かぢじを絶たえ
ゆくへも知しらぬ
恋こいの道みちかな
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47
恵慶法師
恵慶法師えぎょうほうし
職業:僧侶
平安中期
生没年不詳
播磨国の国分寺の講師だったといわれる僧。河原院に住んでいた安法法師の友人で、河原院に出入りしていた。962年頃から歌合などで活躍しはじめ、986年には花山院の熊野行幸に従った。

秋(拾遺集)

八重葎やえむぐら
しげれる宿やどの
さびしきに
人ひとこそ見みえね
秋あきは来きにけり
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48
源重之
源重之みなもとのしげゆき
職業:貴族、位階:従五位下
平安中期
生年不詳~1000年
清和天皇の曽孫。地方官を歴任しながら和歌を作り、冷泉天皇に百首歌『重之百首』を献上した。曾禰好忠とも親交があり、995年頃には陸奥守に任じられた藤原実方に従って陸奥国へ下り、1000年に同地で没した。

恋(詞花集)

風かぜをいたみ
岩いわうつ波なみの
おのれのみ
くだけて物ものを
思おもふうころかな
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49
大中臣能宣朝臣
大中臣能宣朝臣おおなかとみのよしのぶあそん
職業:貴族、位階:従四位上
平安中期
921年~991年
大中臣能宣。中臣鎌足と同じ祖先を持つ中臣氏の出身で、伊勢神宮の祭主を務めた。村上天皇の命で『後撰和歌集』の編纂に関わった梨壺の五人の一人。伊勢大輔の祖父で、991年に没した。三十六歌仙の一人。

恋(詞花集)

御垣守みかきもり
衛士えじのたく火ひの
夜よるはもえ
昼ひるは消きえつつ
物ものをこそ思おもへえ
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50
藤原義孝
藤原義孝ふじわらのよしたか
職業:貴族、位階:従五位上
平安中期
954年~974年
謙徳公(藤原伊尹)の息子で、美しい容姿と才能に恵まれた。仏教への信仰が深く、肉や魚を口にしなかったと伝わる。「長生きしたい」と願う歌を詠みながら、974年に天然痘で21歳で没した。長男は三蹟の一人、藤原行成。

恋(後拾遺集)

君きみがため
惜おしからざりし
いのちさへえ
長ながくもがなと
思おもひいけるかな
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51
藤原実方朝臣
藤原実方朝臣ふじわらのさねかたあそん
職業:貴族、位階:従四位上
平安中期
生年不詳~999年
藤原実方。貞信公の曽孫で、名門に生まれ将来を期待された。宮中で藤原行成と口論して烏帽子を投げ捨て、一条天皇の怒りを買い、「歌枕を見てまいれ」と陸奥へ左遷されたと『古事談』に伝わる。999年に陸奥国で没した。

恋(後拾遺集)

かくとだに
えやはいぶきの
さしも草ぐさ
さしも知しらじな
もゆる思おもひいを
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52
藤原道信朝臣
藤原道信朝臣ふじわらのみちのぶあそん
職業:貴族、位階:従四位上
平安中期
972年~994年
藤原道信。藤原為光の子で、伯父で摂政の藤原兼家の養子として育った。『大鏡』に和歌の上手と記され、控えめで心優しい性格だったとされる。991年に左近衛中将となったが、994年に天然痘で23歳で夭折した。

恋(後拾遺集)

明けぬれば
暮くるるものとは
知くりながら
なほおうらめしき
朝あさぼらけかな
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53
右大将道綱母
右大将道綱母うだいしょうみちつなのはは
職業:その他
平安中期
936年頃~995年
藤原倫寧の娘で、のちに関白となる藤原兼家の妾となり、955年に道綱を産んだ。974年頃に完成した『蜻蛉日記』には、夫の浮気に悩む心情とともに、逆境を生き抜いた誇り高い気質が表れる。本朝三美人の一人。995年没。

恋(拾遺集)

嘆なげきつつ
ひとり寝ぬる夜よの
明あくる間まは
いかに久ひさしき
ものとかは知しる
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54
儀同三司母
儀同三司母ぎどうさんしのはは
職業:内侍、位階:従三位
平安中期
生年不詳~996年
本名は高階貴子。卓越した漢詩の才をもつ高貴な女性で、藤原道隆との間に伊周と、一条天皇の后となる定子をもうけた。995年に夫が亡くなり、996年に長徳の変で伊周・隆家が左遷されるなか、同年に没した。

恋(千載集)

忘わすれじの
ゆく末すえまでは
かたければ
今日きょうを限かぎりの
命いのちともがな
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55
大納言公任
大納言公任だいなごんきんとう
職業:公卿、位階:正二位
平安中期
966年~1041年
本名は藤原公任。漢詩・和歌・管弦に秀で、「三舟の才」と称された博学の文化人。姉の遵子が円融天皇の皇后となった際、女御の詮子に軽口を叩いて恨みを買う軽率な面もあった。晩年は官位への不満から政界を退き、隠棲した。

その他(千載集)

滝たきの音おとは
たえて久ひさしく
なりぬれど
名なこそ流ながれて
なほお聞きこえけれ
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56
和泉式部
和泉式部いずみしきぶ
職業:女房
平安中期
976年頃~没年不詳
橘道貞との間に小式部内侍をもうけた後、為尊親王・敦道親王と関係を持った。敦道親王との恋は『和泉式部日記』に描かれる。1009年頃に中宮彰子に仕え、のち藤原保昌と再婚。紫式部は文才と色艶を評価した。

恋(後拾遺集)

あらざらむん
この世よのほかの
思おもひい出でに
いまひとたびの
逢おふうこともがな
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57
紫式部
紫式部むらさきしきぶ
職業:女房
平安中期
970年頃~1014年頃
藤原為時の娘で、幼い頃から賢く、漢詩の覚えは弟より早かったという。998年頃に藤原宣孝と結婚し、娘の賢子(大弐三位)を産んだ。夫の死後に『源氏物語』を書き始め、道長に抜擢されて1005年頃に中宮彰子に仕えた。

その他(新古今集)

めぐり逢あひいて
見みしやそれとも
わかぬ間まに
雲隠くもがくれにし
夜半よわの月つきかな
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58
大弐三位
大弐三位だいにのさんみ
職業:女房、位階:従三位
平安中期
999年頃~1082年頃
本名は賢子。紫式部の娘で、母の後を継いで中宮彰子に仕えた。後冷泉天皇の乳母となり、1054年に従三位に叙された。名は、再婚した高階成章の官職・大宰大弐と自身の位階・従三位に由来する。1082年頃に没した。

恋(後拾遺集)

ありま山やま
猪名いなの笹原ささはら
風かぜ吹ふけば
いでそよ人ひとを
忘わすれやはする
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59
赤染衛門
赤染衛門あかぞめえもん
職業:女房
平安中期
956年頃~1041年頃
名は父の官職・右衛門尉に由来する。976年頃に大江匡衡と結婚し、1001年に夫とともに尾張国へ赴いた。藤原道長の正妻・倫子と、その娘の中宮彰子に仕え、紫式部や和泉式部とも交流した。『栄花物語』正編の作者としても知られる。

恋(後拾遺集)

やすらはわで
寝ねなましものを
小夜さよ更ふけて
かたぶくまでの
月つきを見みしかな
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60
小式部内侍
小式部内侍こしきぶのないし
職業:女房
平安中期
生年不詳~1025年
母・和泉式部の名に由来する女房名で呼ばれ、1009年頃から母とともに中宮彰子に仕えた。1016年に藤原教通の子(静円)を産み、1025年に20代で出産後に亡くなった。『和泉式部集』には夭折した娘を悼む哀傷歌が収められている。

その他(金葉集)

大江山おおえやま
いく野のの道みちの
遠とおければ
まだふみもみず
天あまの橋立はしだて
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61
伊勢大輔
伊勢大輔いせのたいふ
職業:女房
平安中期
989年頃~没年不詳
大中臣能宣の孫で、名は父が神祇大副を務めたことに由来する。1008年頃から中宮彰子に仕え、和泉式部や紫式部とも交流した。歌合に出詠を重ね、晩年は白河天皇の養育係を務めた。1060年頃まで生存が確認される。

春(詞花集)

いにしへえの
奈良ならの都みやこの
八重桜やえざくら
けふきょう九重ここのえに
匂におひいぬるかな
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62
清少納言
清少納言せいしょうなごん
職業:女房
平安中期
966年頃~1025年頃
清原深養父の曽孫で、清原元輔の娘。981年頃に橘則光と結婚し、993年に中宮定子に仕えた。1000年に定子が亡くなると宮仕えを退いた。日本最古の随筆『枕草子』の作者で、1025年頃に没した。

その他(後拾遺集)

夜よをこめて
鳥とりのそらねは
はかるとも
よに逢坂おうさかの
関せきは許ゆるさじ
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63
左京大夫道雅
左京大夫道雅さきょうのだいぶみちまさ
職業:貴族、位階:従三位
平安中期
992年~1054年
本名は藤原道雅。藤原伊周の長男で、長徳の変により一族は没落した。1016年に従三位となるが政治的影響力はなく、自暴自棄になって素行が悪化し、「荒三位」「悪三位」と呼ばれた。1054年に出家して没した。

恋(後拾遺集)

いまはただ
思おもひ絶たえなむん
とばかりを
人ひとづてならで
言いふうよしもがな
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64
中納言定頼
中納言定頼ちゅうなごんさだより
職業:公卿、位階:正三位
平安中期
995年~1045年
本名は藤原定頼。藤原公任の息子で、父譲りで和歌や管弦に通じ、能書家でもあった。1029年に権中納言となり、1044年に病で出家して翌年没した。小式部内侍に歌でやりこめられた逸話が残り、軽率な一面もあったようだ。

冬(千載集)

朝あさぼらけ
宇治うじの川霧かわぎり
絶たえ絶だえに
あらはわれわたる
瀬々せぜの網代木あじろぎ
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65
相模
相模さがみ
職業:女房
平安中期
998年頃~1061年以降
名は相模守の大江公資と結婚したことに由来するが、1025年頃に別れた。脩子内親王に仕えて奔放な恋愛を重ね、歌人として高く評価され、『後拾遺和歌集』に40首入集。源頼光の養女。

恋(後拾遺集)

恨うらみわび
ほさぬ袖そでだに
あるものを
恋こいにくちなむん
名なこそをしけれ
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66
大僧正行尊
大僧正行尊だいそうじょうぎょうそん
職業:僧侶
平安中期
1055年~1135年
三条院の曽孫。10歳で父を亡くし、12歳で園城寺で出家して天台宗の僧となった。山伏修行を積み、1116年に園城寺長吏、1123年に天台座主となったがまもなく辞任。71歳で大僧正となり、1135年に没した。

その他(金葉集)

もろともに
あはわれと思おもへえ
山桜やまざくら
花はなよりほかに
知しる人ひともなし
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67
周防内侍
周防内侍すおうのないし
職業:女房
平安中期
1037年頃~1111年頃
本名は平仲子。女房名は父が周防守を務めたことに由来する。後冷泉・後三条・白河・堀河の四代に仕えた宮廷歌人で、『後拾遺和歌集』以降の勅撰和歌集に35首入集。1108年頃に病で出家し、1111年頃に没した。

その他(千載集)

春はるの夜よの
夢ゆめばかりなる
手枕たまくらに
かひいなく立たたむん
名なこそをしけれ
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68
三条院
三条院さんじょういん
職業:天皇
平安中期
976年~1017年
冷泉天皇の第二皇子で、1011年に36歳で即位したが、在位は5年と短かった。在位中に内裏が二度も火災に遭い、眼病を患って苦しんだ。1016年に後一条天皇に譲位し、1017年に出家して崩御した。

その他(後拾遺集)

心こころにも
あらで憂うき世よに
ながらへえば
恋こいしかるべき
夜半よわの月つきかな
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69
能因法師
能因法師のういんほうし
職業:僧侶
平安中期
988年~1050年または1058年
本名は橘永愷。文章生だったが1013年に出家して能因と名乗った。歌枕に強い関心を持ち、全国を旅して歌を詠んだ数寄者。日焼けして旅先で詠んだと見せかけた逸話や雨乞いの伝説がある。1050年または1058年に没した。

秋(後拾遺集)

嵐あらし吹ふく
三室みむろの山やまの
紅葉もみじ葉ばは
竜田たつたの川かわの
錦にしきなりけり
詳しく見る
70
良暹法師
良暹法師りょうぜんほうし
職業:僧侶
平安中期
生没年不詳
比叡山延暦寺の僧となり、祇園社の別当を務めた後、大原の里に人知れず暮らしたといわれる。晩年は雲林院に住んだともいう。1038年に権大納言師房家歌合などに出詠し、康平年間(1058〜1065年)頃に没したとする説がある。

秋(後拾遺集)

さびしさに
宿やどを立たち出いでて
ながむれば
いづずくも同おなじ
秋あきの夕ゆう暮ぐれ
詳しく見る
71
大納言経信
大納言経信だいなごんつねのぶ
職業:公卿、位階:正二位
平安中期
1016年~1097年
本名は源経信。敦実親王の曽孫で、漢詩・和歌・管弦に優れた多才な人物。大堰川の舟遊びで多才ぶりを示し、公任と並び「三舟の才」と称された。1091年に大納言となり、1094年に大宰権帥となって赴任、1097年に大宰府で没した。

秋(金葉集)

夕ゆうされば
門田かどたの稲葉いなば
おとづずれて
蘆あしのまろやに
秋風あきかぜぞ吹ふく
詳しく見る
72
祐子内親王家紀伊
祐子内親王家紀伊ゆうしないしんのうけのきい
職業:女房
平安後期
生没年不詳
後朱雀天皇の第三皇女・祐子内親王の女房で、長く歌人として活躍した。紀伊守・藤原重経の妹あるいは妻とする文献もあり、その官職が名の由来と考えられる。1102年の堀河院艶書合で歌を詠み、1105年頃に『堀河百首』に参加した。

恋(金葉集)

音おとに聞きく
高師たかしの浜はまの
あだ波なみは
かけじや袖そでの
ぬれもこそすれ
詳しく見る
73
権中納言匡房
権中納言匡房ごんちゅうなごんまさふさ
職業:公卿、位階:正二位
平安後期
1041年~1111年
本名は大江匡房。赤染衛門の曽孫で、学者を輩出する家柄に生まれ、16歳で文章得業生となった。有職故実に詳しく、後三条・白河・堀河の三天皇の教育係を務めた。1094年に権中納言となり、1111年に没した。

春(後拾遺集)

高砂たかさごの
尾おの上への桜さくら
咲さきにけり
外山とやまの霞かすみ
立たたずもあらなむん
詳しく見る
74
源俊頼朝臣
源俊頼朝臣みなもとのとしよりあそん
職業:貴族、位階:従四位上
平安後期
1055年~1129年
源経信の子。革新的な歌風で知られ、伝統的な歌風の藤原基俊と並ぶ院政期歌壇の双璧。微官ながら白河院の命で『金葉和歌集』の撰者を務めた。多くの歌会で作者や判者を務め、歌壇をリードして、1129年に没した。

恋(千載集)

憂うかりける
人ひとを初瀬はつせの
山やまおろしよ
はげしかれとは
祈いのらぬものを
詳しく見る
75
藤原基俊
藤原基俊ふじわらのもととし
職業:貴族、位階:従五位上
平安後期
1060年~1142年
藤原道長の曽孫だが、官位は従五位上と微官に終わった。伝統的な歌風を重んじ、革新的な源俊頼と対立しつつ院政期歌壇の双璧とされた。晩年に藤原俊成を弟子に迎え、1138年に出家し、1142年に没した。

その他(千載集)

契ちぎりおきし
させもが露つゆを
いのちにて
あはわれ今年ことしの
秋あきもいぬめり
詳しく見る
76
法性寺入道前関白太政大臣
法性寺入道ほっしょうじにゅうどう
前関白太政大臣さきのかんぱくだいじょうだいじん
職業:僧侶、位階:従一位
平安後期
1097年~1164年
本名は藤原忠通。藤原忠実の長男で、1121年に関白となった。異母弟の頼長との確執が保元の乱につながり、1156年の乱では後白河天皇方について勝利した。書に優れ、法性寺流の祖としても知られる。1164年に没した。

その他(詞花集)

わたの原はら
こぎいでてみれば
久方ひさかたの
雲くも居いにまがごふう
沖おきつ白波しらなみ
詳しく見る
77
崇徳院
崇徳院すとくいん
職業:天皇
平安後期
1119年~1164年
鳥羽天皇の第一皇子で、1123年に5歳で即位したが、鳥羽上皇に疎まれ、1141年に近衛天皇へ譲位した。1156年に保元の乱に敗れて讃岐国へ流され、都に戻れないまま1164年に同地で崩御した。

恋(詞花集)

瀬せをはやみ
岩いわにせかるる
滝川たきがわの
われても末すえに
あはわむんとぞ思おもふう
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78
源兼昌
源兼昌みなもとのかねまさ
職業:貴族、位階:従五位下
平安後期
生没年不詳
宇多天皇の末裔だが、官位は従五位下にとどまり微官に終わった。歌人としてその才能を発揮し、1116年に鳥羽天皇の勅命で編纂された『永久百首』の作者となった。1100年の国信卿家歌合などにも出詠した。

冬(金葉集)

淡路島あわじしま
かよふう千鳥ちどりの
鳴なく声こえに
幾夜寝覚ねざめぬ
須磨すまの関守せきもり
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79
左京大夫顕輔
左京大夫顕輔さきょうのだいぶあきすけ
職業:貴族、位階:正三位
平安後期
1090年~1155年
本名は藤原顕輔。六条藤家の祖・藤原顕季の子で、歌道の名門に生まれた。崇徳院の命で『詞花和歌集』を撰集し、1151年に奏覧した。手伝った子の清輔の歌は一首も採らず、親子の確執が伝わる。1155年に没した。

秋(新古今集)

秋風あきかぜに
たなびく雲くもの
たえ間まより
もれいづずる月つきの
影かげのさやけさ
詳しく見る
80
待賢門院堀川
待賢門院堀川たいけんもんいんのほりかわ
職業:女房
平安後期
生没年不詳
崇徳院の生母・待賢門院璋子に仕え、崇徳院の時代に歌人として活躍した。1142年に待賢門院の出家に従って出家し、仁和寺で晩年を過ごした。1145年に待賢門院が没し、1150年には『久安百首』に百首を詠進した。

恋(千載集)

長ながからむん
心こころもしらず
黒髪くろがみの
みだれてけさは
物ものをこそ思おもへえ
詳しく見る
81
後徳大寺左大臣
後徳大寺左大臣ごとくだいじのさだいじん
職業:公卿、位階:正二位
平安後期
1139年~1192年
本名は藤原実定。藤原定家の従兄弟で、和歌に優れ管弦の名手でもあった。祖父の実能が「徳大寺左大臣」と呼ばれたことから、「後徳大寺左大臣」と称された。1189年に左大臣となり、1191年に出家し、翌年没した。

夏(千載集)

ほととぎす
鳴なきつる方かた を
ながむれば
ただ有明ありあけの
月つきぞ残のこれる
詳しく見る
82
道因法師
道因法師どういんほうし
職業:僧侶、位階:従五位上
平安後期
1090年~1182年頃
俗名は藤原敦頼。右馬助を務め、従五位上に至った。優れた歌を詠むことを願い、毎月京都から住吉大社へ徒歩で参拝を続けた。1172年に出家した後も、高齢になって歌会に参加し、1182年頃に没した。

恋(千載集)

思おもひいわび
さても命いのちは
あるものを
憂うきにたへえぬは
涙なみだなりけり
詳しく見る
83
皇太后宮大夫俊成
皇太后宮大夫俊成こうたいごうぐうのだいぶとしなり
職業:公卿、位階:正三位
平安後期
1114年~1204年
本名は藤原俊成。藤原定家の父。数多くの歌合で判者を務め、「幽玄」「艶」といった美意識を重んじた。1188年に後白河院の命で『千載和歌集』を撰進した。1203年に九十歳の賀宴を賜り、1204年に没した。

その他(千載集)

世よの中なかよ
道みちこそなけれ
思おもひい入いる
山やまの奥おくにも
鹿しかぞ鳴なくなる
詳しく見る
84
藤原清輔朝臣
藤原清輔朝臣ふじわらのきよすけあそん
職業:貴族、位階:正四位下
平安後期
1104年~1177年
藤原顕輔の子。父との確執から、『詞花和歌集』に歌が一首も採られなかった。1155年に六条藤家を継ぎ、二条天皇の命で『続詞花和歌集』を撰ぶが、天皇の崩御で勅撰集とならなかった。1177年に没した。

その他(新古今集)

長ながらへえば
またこのごろや
しのばれむん
憂うしと見みし世よぞ
今いまは恋こいしき
詳しく見る
85
俊恵法師
俊恵法師しゅんえほうし
職業:僧侶
平安後期
1113年~1191年頃
源俊頼の子で、17歳で父と死別して東大寺の僧となった。1150年頃、白川の自坊を歌林苑と名づけて多くの歌人を招いて歌会を催した。弟子に『方丈記』の作者・鴨長明がいる。1191年頃に没した。

恋(千載集)

夜よもすがら
物もの思おもふうころは
明あけやらで
閨ねやのひまさへえ
つれなかりけり
詳しく見る
86
西行法師
西行法師さいぎょうほうし
職業:僧侶、位階:従五位下
平安後期
1118年~1190年
俗名は佐藤義清。鳥羽院の北面の武士で左兵衛尉だったが、1140年に出家した。待賢門院への恋を断つためとする説がある。漂泊の歌人として東北や四国など各地を旅し、旅先で多くの歌を詠んだ。1190年に弘川寺で没した。

恋(千載集)

嘆なげけとて
月つきやは物ものを
思おもはわする
かこち顔がおなる
わが涙なみだかな
詳しく見る
87
寂蓮法師
寂蓮法師じゃくれんほうし
職業:僧侶、位階:従五位上
鎌倉
1139年頃~1202年
藤原俊成の養子だったが、実子の定家に後継ぎを譲るため出家したといわれる。高野山で修行した後、諸国を行脚して嵯峨に移り住んだ。1201年に定家らとともに『新古今和歌集』の撰者に選ばれたが、翌1202年に没した。

秋(新古今集)

村雨むらさめの
露つゆもまだひぬ
まきの葉はに
霧きりたちのぼる
秋あきの夕ゆう暮ぐれ
詳しく見る
88
皇嘉門院別当
皇嘉門院別当こうかもんいんのべっとう
職業:女房
鎌倉
生没年不詳
崇徳院の中宮・皇嘉門院(藤原聖子)に別当として仕えた。1175年の右大臣兼実家歌合や、1178年の右大臣家百首に出詠した。皇嘉門院が亡くなった1182年の頃には、すでに出家していた。

恋(千載集)

難波江なにわえの
葦あしのかりねの
ひとよゆゑえ
みをつくしてや
恋こひいわたるべき
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89
式子内親王
式子内親王しょくしないしんのう
職業:皇族、位階:三品
鎌倉
1149年~1201年
後白河上皇の第三皇女。1159年に賀茂斎院となり、生涯恋愛の自由を奪われた。退下後は家族を次々に亡くし、呪詛の疑惑も持たれるなど波乱の人生を送った。『新古今和歌集』に女性歌人最多の49首が入った。1201年に没した。

恋(新古今集)

玉たまの緒およ
絶たえなば絶たえね
ながらへえば
忍しのぶることの
弱よわりもぞする
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90
殷富門院大輔
殷富門院大輔いんぷもんいんのたいふ
職業:女房
鎌倉
1130年頃~1200年頃
藤原信成の娘で、後白河天皇の皇女・殷富門院に仕えた。多くの歌を詠んだことから「千首大輔」と呼ばれた。1182年に『寿永百首』に参加し、1192年に殷富門院の出家に従って出家した。1200年頃に没した。

恋(千載集)

見みせばやな
雄島おじまのあまの
袖そでだにも
ぬれにぞぬれし
色いろはかはわらず
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91
後京極摂政前太政大臣
後京極摂政前太政大臣ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん
職業:公卿、位階:従一位
鎌倉
1169年~1206年
本名は九条良経。藤原忠通の孫で、九条兼実の次男。兄が夭逝したため九条家を継いだ。1202年に土御門天皇の摂政、1204年に太政大臣となったが、1206年に38歳で父より早く没した。暗殺されたとする説もある。

秋(新古今集)

きりぎりす
鳴なくや霜夜しもよの
さむしろに
衣ころもかたしき
ひとりかも寝ねむん
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92
二条院讃岐
二条院讃岐にじょういんのさぬき
職業:女房
鎌倉
1141年頃~1217年頃
源頼政の娘で、二条院に仕えた後、後鳥羽天皇の中宮・宜秋門院に仕えた。式子内親王と並び称された和歌の名手。1180年に以仁王の挙兵に関わった父と兄を失い、のちに出家した。1217年頃に没した。

恋(千載集)

わが袖そでは
潮干しおひに見みえぬ
沖おきの石いしの
人ひとこそ知しらね
かわくまもなし
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93
鎌倉右大臣
鎌倉右大臣かまくらのうだいじん
職業:公卿、位階:正二位
鎌倉
1192年~1219年
本名は源実朝。源頼朝と北条政子の子で、1203年に12歳で鎌倉幕府の第三代征夷大将軍となった。和歌を愛し、平和な世を願った。1213年頃に『金槐和歌集』がまとまり、1218年に右大臣となった。1219年に甥の公暁に暗殺された。

旅(新勅撰集)

世よの中なかは
つねにもがもな
渚なぎさこぐ
あまの小舟こぶねの
綱手つなでかなしも
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94
参議雅経
参議雅経さんぎまさつね
職業:公卿、位階:正三位
鎌倉
1170年~1221年
本名は藤原雅経。飛鳥井流蹴鞠を興した蹴鞠の名人。藤原俊成に和歌を学び、1201年に和歌所寄人となり、『新古今和歌集』の撰者の一人に選ばれた。1220年に参議となり、1221年に没した。

秋(新古今集)

み吉野よしのの
山やまの秋風あきかぜ
さ夜よふけて
ふるさと寒さむく
衣ころもうつなり
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95
前大僧正慈円
前大僧正慈円さきのだいそうじょうじえん
職業:僧侶
鎌倉
1155年~1225年
藤原忠通の六男で、1167年に青蓮院に入って出家した。1192年に天台座主となり、生涯で4度就任した。1220年頃に史論書『愚管抄』を著し、後鳥羽院の挙兵を諫めようとしたと考えられている。1225年に没した。

その他(千載集)

おほおけなく
憂うき世よの民たみに
おほおふうかな
わがたつ杣そまに
墨染すみぞめの袖そで
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96
入道前太政大臣
入道前太政大臣にゅうどうさきのだいじょうだいじん
職業:公卿、位階:従一位
鎌倉
1171年~1244年
本名は西園寺公経。源頼朝の姪を妻に迎え、鎌倉幕府と深く結びついた。承久の乱では後鳥羽上皇の計画を幕府に密かに報告し、1222年に太政大臣となった。北山に西園寺を建てて栄華を極め、1244年に没した。

その他(新勅撰集)

花はなさそふう
嵐あらしの庭にわの
雪ゆきならで
ふりゆくものは
わが身みなりけり
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97
権中納言定家
権中納言定家ごんちゅうなごんさだいえ
職業:公卿、位階:正二位
鎌倉
1162年~1241年
本名は藤原定家。藤原俊成の子で、『百人一首』を編纂した歌人。1201年に『新古今和歌集』の撰者に選ばれ、1235年に『新勅撰和歌集』を完成させた。『源氏物語』などを書き写して後世に伝えた。1241年に没した。

恋(新勅撰集)

来こぬ人ひとを
松帆まつほの浦うらの
夕ゆうなぎに
焼やくやもしほの
身みもこがれつつ
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98
従二位家隆
従二位家隆じゅにいいえたか
職業:公卿、位階:従二位
鎌倉
1158年~1237年
本名は藤原家隆。藤原俊成に和歌を学び、藤原定家と並ぶ歌壇の代表だった。1201年に『新古今和歌集』の撰者に選ばれた。承久の乱で後鳥羽院が隠岐に流された後も、書状をやり取りして院を支え続けた。1237年に没した。

夏(新勅撰集)

風かぜそよぐ
ならの小川おがわの
夕暮ぐれは
みそぎぞ夏なつの
しるしなりける
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99
後鳥羽院
後鳥羽院ごとばいん
職業:天皇
鎌倉
1180年~1239年
高倉天皇の皇子で、三種の神器のないまま即位した。引け目を克服するように、和歌など多くの分野で万能になった。1201年に『新古今和歌集』の編纂を命じた。1221年に承久の乱に敗れて隠岐へ流され、同地で崩御した。

その他(続後撰集)

人ひともをし
人ひともうらめし
あぢじきなく
世よを思おもふうゆゑえに
物も思おもふう身みは
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100
順徳院
順徳院じゅんとくいん
職業:天皇
鎌倉
1197年~1242年
後鳥羽院の第三皇子で、1210年に14歳で即位した。宮中の行事やしきたりを『禁秘抄』にまとめ、朝廷の存在意義を示そうとした。1221年に父とともに承久の乱に敗れて佐渡へ流され、1242年に同地で崩御した。

その他(続後撰集)

ももしきや
ふるき軒のきばの
しのぶにも
なほおあまりある
昔むかしなりけり
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